草日誌

草日誌

2023年4月1日

人に潜る 第2話
近くて遠い海へ|いわき ②


 
 
 

青空の広がる沿岸部を車で走り抜ける。
道は広く真新しい。以前は工事中でところどころアスファルトが割れていた河口の橋の上を通り、底上げされた道の上に車を止める。津波で川が氾濫した痕跡は、水面から5、6メートル垂直に伸びた壁に姿を変えていた。
新妻さんのお宅について、生まれ育った砂浜の方まで歩くことになった。坂道を下って海の方へ行く新妻さんを追いながらカメラを回す。河口の脇から人気のない公園のようなところに入っていくとき、彼の視界で現在と過去の風景が二重映しになり、次第に過去の風景が濃度を増してきているのがわかった。

俺んちの昔のとこはねえ……どの辺になるかなあ。
こうやってここになってから、こうなってから久しぶりだなあ。こっちこの辺に橋があって。橋からずうっと下がってきて。はじめちゃんチがあって。んでこの辺から、この辺から曲がっていったか。うーん。この辺から曲がっていってって感じかな。んで、家がずっと。道路の両側に家があって。曲がって。はじめちゃんチあって、ひさおちゃんチあって。こうぞうんチあって……

彼にしか見えない町の記憶の中を歩く。
カメラを覗き込んでも、だだっぴろい空の下の真新しく舗装された道と無味乾燥な柵、背の低い木々しか写らないのがもどかしい。
立ち止まって彼を見送る。
ロングショットの中央で彼が小さくなる。
それにつれてだんだんと周囲の風景が存在感を増してくる。
いまいるここが津波への対策で造られた防波機能を持つ巨大な防災緑地だとようやく認識する。

ここらへんかなあ。うん。

立ち止まる彼に追いつく。

堤防があって、家一軒あって、道路があって、ウチがあったから…… 
こういうふうに全部(植物の)影に隠れて(海が)見えなくなっちゃってるっていうのは、なんか寂しいところがあるね。海の近くにいんのに、音だけ聞こえて、海が見えないっていうのも、なんとなく変な感じがする。俺らがもう小学校とかの頃は、ここの浜も馬鹿みたいに広かったからね。夏場は海水浴場ができて、最盛期の頃には脱衣場って言って、海の家?あれが2軒くらいあって。ほいでー、貸しボートとかあって。そいで俺ら金無かったから。みんなで寄り合って、一艘の船に6人くらい乗って。こっから拡声器使ってマイクで喋んだけど。俺らはもうそれが聞こえないくらい遠くまで、もう船押しながらワー!とか行って、みんなで押しながら、ずーっと(沖に)行って。「ダメだろ!いつまで経っても(帰って)来ねえわ」「だって聞こえねえんだもん」「聞こえねえってお前どこまで行ってきたんだ!」とかって。大人たちに怒られて。

――ここにいると今もそうですけど、波の音すごい聞こえますね。

(笑)でしょ。これまだ、凪いでっからいいんだよ。これシケんときだったらすごいよ、もっと。たぶん俺もね、今は奥の方に引っ込んじゃったからアレだけど、今だったら気になっと思う。

ピントを、彼の頭部からその背後の家のあったあたりにある木々に送った。語る彼の人型が、鮮明な木々と青空の手前で白い染みのようにボケる。もう少しで誰だかわからなくなりそうだ。

――じゃあ生まれた時からこの波の音、聞いてたんですね。

そうだねえ。ずうっと。かっこよく言えば子守唄替わりに、これずっと聞かせられてた。んで、親父やお袋が市場に仕事行けば、あのおっきな樽ん中に入れられて。出歩かないように。悪さしないように。そんでもう、おしっこから何からそこでしても、その樽だけ掃除すりゃいいって感じで。樽ん中に入れられてたらしい。俺は記憶はねえけど。

――子供の頃に暮らしていた、ある種の漁村だったと思うんですけど。その時のことを考えると、今と比べてみると牧歌的というか、目の前にある海で魚を獲って食って……

そうだねえ。そう。あのう……春先になっと、その砂浜にワカメをずうっと広げて、砂浜で乾燥させてね、やったりとかいうおばちゃんが居てね。そういうふうな、なんかほんとにこう、海にある恵みをみんなで享受してたっていう感じがして……

彼に近づいて肩越しに長く伸びた道を撮りながら、木造の家が建ち並んでいる漁村の風景を想像する。強い陽射しを受けた彼の背中と後頭部がハレーションを起こす。画面の中の白い大きな染みになった新妻さんはもう誰だか判別がつかないが、顔や年齢がぼやけることによって語りが純粋に現れてくるように感じた。いま語りは彼の内の子供の体感からやってきている。いま顔にピントを戻したら同時に彼にしか見えない町も消えてしまう気がする。すでに語りに入っている自分は、たとえば浜に遊びに行く前の幼馴染のように彼に見えている町を並び見ていなければならなかった。
この時、すでに撮影の主体は彼や僕を通過して、人が海と乖離して生じた隔たりのようなこの場所そのものになりつつあった。

――やっぱりこの10年で津波があって、土地も変形して、人間と海との間に隔たりが生まれたような気がするんですよね。これ、地形的な隔たりもいま見てきましたけど、同時に放射能汚染のことがあったので、見えない壁というか、もっとそっちの方が分厚いかもしれないですけど、そういうふうなものが人間と(海と)の間に生まれたということに関しては、竹彦さんはどんなふうに思いました?

だって、よく小学校の高学年くらいになっと、富岡にあったエネルギー館とかいうところに連れてかれて、東京電力の建物なんだけど。そこに連れていかれて、「原子力発電所ってのは5つの厚い壁に覆われてて、万が一なんてことは絶対ありえないんだ」というふうなことを教えられて、ああそんなもんなんだろう、ぐらいしかなかったし、まあ少なくても当時は、スリーマイルもチェルノブイリもまだ起きていなかった頃だから、ああそんなもんなんだろうなあっていうふうな漠然としたイメージしか持っていなかったけど。これがスリーマイルが起きて、チェルノブイリが起きて、で、福島のイチエフの事故が起きたっていうふうなのを見ると、うーん。やっぱり人間の作ったものってのは、自然には勝てねえし、限界ってのがあんのかなあ。で、その人間の科学、人間がサイエンスとして持ってるものなんてのは、たかだか知れてるもので、こう……自然ってのはそれ以上、それよりも上回るエネルギーを持ってて、人間なんか平気で…なんの躊躇もなく、悪戯をするのかも知れないよね。自然っていうのは。
それだけにイチエフの事故っていうのは、自分達漁師にとっては、ものすごいこう、それこそ本当に目に見えないものだったし、測定器を持ってきて数字で測るしかないような状況なわけだし、普通に(漁を)やってりゃあ、なんでもないことなんだけど、測ってみりゃあ線量が高かったとかっていうのを見た時に、いやこれはずいぶん厄介なものが……厄介なものに手を出しちゃったんだな、人間はなっていうふうなことを考えた……ここ10年だね。
そんな厄介なものに、本来であれば人間ってのはそこまで手を出す必要は……するべきではなかったのかもしれないよね。人間っていうのは。

――ある種、ちょっと禁忌されるというか、避けられるべき存在に海がなっていった。そういう海っていうのって……これまで竹彦さんが親しんできた海とまるで別人というか、別のものですよね。

海が……子供の頃ずっとここに住んでて海が怖いなって思ったのはやっぱり台風とか、うわあ海ってすごいなあって思いながらいた時はあったけど。それはそれでシケだっていうね、もんだから。ある意味、こう許容はしてたんだけど。この原子力災害って言われてるものは本当にこう、海が凪いてでて、平穏で何もなくて、上っ面上は、たとえば映像で捉えれば何も変わり映えしない、普通の日常の海のはずなのに、それがこう……数値的なもので区別されちゃって。それが福島の海だっていうふうにレッテル貼られちゃってっていうのが、ものすごくこう、おっかなかったって言うのかなあ。どうなんだろうね?
気持ち悪かったのかなあ。
当時の……当時はそう……うまく表現できないな、なんて言ったらいいんだろう……
そうだな。
(海は)近くにあんだけど、近くでなくなっちゃった。
今まで朝起きて船で行ってっていうものがあったんだけど。
それがこうなんか、遠いところに持っていかれちゃって、自分たちの預かり知らないところに海が持ってかれちゃったみたいな。
何ベクレルとか何ミリシーベルトとか言われる言葉だけで線を引かれて区切られて、魚だっていい迷惑で、なりたくもねえのに被爆しちゃって、んで、どうなんだ、もうそろそろいいんじゃねえのか? とかって言って、それはそれで科学的に今の魚がある意味安全だっていうふうに言えるっていうことで飲み込んじゃって、自分らは船を出して魚を獲ってるっていうような状況かな。

――(海は)遠くなってしまった。

うん、そう。遠くなっちゃった。距離的な数字ってのはなんも変わってないんだかもしんねえけど、こう心の中で……まあ、漁師がそれ言っちゃダメなんだかもしんねえけどな。
けど、わかれば……
原子力ってものの過酷事故っていうのをわかればわかるほど、なんか、海がどんどんどんどん遠くなっていっちゃったっていう、気がしてた。

語りを聞いて無性に海が見たくなった。
ほんの十数メートル先にあるはずの海にカメラを向け、ピントを遠くへ送ると生い茂る松の葉の隙間から水平線がかろうじて浮かび上がった。その線をゆっくりと撫でるように記録する。

緑地から堤防に降ると、その向こうは砂浜の代わりに板状のコンクリートが段段の斜面をなしていて、そのまま海に向かって沈む。新妻さんがいましがた語ってくれた砂浜の光景が、このダムのような巨大な離岸堤となんら結び付きを見出せずに薄れてゆく。

ガキの頃、ろくに勉強もしなかったから、宿題なんかさっさと済ませて、ここ(砂浜)に来れば必ず、何人か、なにかはやってっから。それで一緒になって遊んで。
……この離岸堤を作ったから砂浜が無くなったのか、砂浜が無くなったから離岸堤を作ったのか。わからん。俺には。

新妻さんの案内で砂浜を一望できる山の頂上の神社に登った。
三脚を高く上げてカメラを覗き込むとロングショットの半分はコンクリの離岸堤と防災緑地で埋め尽くされていた。このような土地は東日本にたくさんあるのだろう。人が海とのあわいをここまでの規模で埋め立てたことは人類史上かつてなかっただろうと考えていた。

ちいさな町だな

隣で新妻さんがそう呟くのが聞こえた。
どういうわけか遺言を聞いたと思った。
その声はあまりにも小さくて風の音にほとんど掻き消されていたのでマイクが音を拾ったか気になったが、それよりもこの「久之浜」という名を持つ漁村の風貌が、顔の思い出せない知り合いのように思えて不思議とカメラから目を離せなかった。

 
 
 

人に潜る|近くて遠い海へ|いわき ③(4月15日更新)につづく

|人に潜る|松井至|
|第1話|家は生きていく|石巻|③+映像
|第2話|近くて遠い海へ|いわき|③+映像
|第3話|人はなぜ踊るのか|川崎市登戸+映像
|第4話|ゆびわのはなし|奈良|③+映像
|第5話|いのちの被膜|京都|③+映像
|第6話|握手

松井至[まついいたる]
1984年生まれ。人と世界と映像の関係を模索している。
耳の聴こえない親を持つ、聴こえる子どもたちが音のない世界と聴こえる世界のあいだで居場所を探す映画『私だけ聴こえる』が公開され、海外の映画祭や全国40館のミニシアターで上映され反響を呼んだ。令和4年度文化庁映画賞文化記録映画大賞受賞。
誰からでも依頼を受けるドキュメンタリーの個人商店〈いまを覚える〉を開店。
日本各地の職人と自然との交わりをアニミズム的に描いた〈職人シリーズ〉を展開。
コロナ禍をきっかけに、行動を促すメディア〈ドキュミーム〉を立ち上げる。
無名の人たちが知られざる物語を語る映像祭〈ドキュメメント〉を主催。
仕事の依頼などは 【こちら】まで。

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