草日誌

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2012年10月21日

塩竈へ

生まれ育った場所、塩竈に来ています。
菩提寺の港が見える墓所でお墓参りを参りをすませて、実家へ。
玄関に荷物を置いて、そのまま今度は裏山のお稲荷さんにごあいさつ。
そこで木漏れ日をぼおっと眺めたり、蟻の行列を追いかけたりしながらしばらく過ごしました。
ここでこうしていると、どこか遠く、ここではない場所にいるような気持ちになります。そういう感覚は子どもの頃からあって、よくひとりで遊びに来ていました。
かつてこの小山の上には海上保安部の官舎や病院があってもう少し人の行き来があったのですが、その道もいまでは背の高い雑草に覆われてしまいました。ただ、お稲荷さんへの参道だけは地元にみなさんの手できれいにされています。

朝にお参りした丹治家の代々墓にはひと文字「莫」とだけが彫られています。
亡き父が言い残したほぼ唯一のことが、墓碑銘としてこの文字を残すことでした。
「莫」
どういう思いでこの文字を選んだのでしょう。
いまとなってはこたえてくれる人はどこにもなく、ただ思うだけです。

そのあと「もとまち味覚市」へ。「松野」さんの「はらこ飯」、「しお彩」さんの「特製おにぎりセット」、芋煮などをいただきました。どれも美味しかった。 「しお彩」さんでは最後のひとつだったようで、看板娘のお嬢さんが「完売で〜す!」と声を張り上げていました。そのあと商店街をぶらぶらしていたら、お父 さんと手をつなぎ旧公民館への石段をぴょんぴょん飛び跳ねて帰って行く姿が遠くに見えました。かわいかったなあ。

生まれ育った町では、足元のはがれかかったアスファルトにも、遠くで揺れる木の梢にも、何かと意味を感じてしまいますね。お父さん。
ときどき意味もなく、あえて口にしてみます。
お父さん、と。
もちろんこたえる声はありません。
でも、不思議ですね。
そう声に出してみると、雲間から陽の光が射すように、背中のあたりがふっと温かくなります。
こうやって何度その温かさに支えたれたことだろう。
お父さん。
ありがとう。
そうだ、あとで病院にいる兄にもこのことを教えてあげよう。
そうすれば少しは気持ちが楽になるかもしれない。
何かがよい方向に変わるかもしれない。
いいことに気がつきました。

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