草日誌

草日誌

2025年3月26日

ソラノマド|高山なおみ 
窓辺のちくちく

 
 
| 窓辺のちくちく |
 
 冬に東京に行ったとき、自分の着ていたコートと友人のを取り替えっこして帰ってきた。お互いのコートが大好きで、それならしばらくの間交換しようか、ということになったのだ。

 彼女は上京するたびに泊めてもらっている古くからの友人で、私が吉祥寺にいたころには、何やかやとしょっちゅう会っていた。近所に住んでいたから、散歩中にばったり会うこともしばしばだった。そんなときは偶然会えたことが嬉しく、相手の散歩コースについていったり、そのまま友人の部屋に遊びにいったり。コンビニでビールとつまみを買って、暗くなるまで桜を眺めていたこともある。

 神戸に移住して、実際の距離は遠くなったけれど、年にいちどは彼女も泊まりにやってきて、気ままな合宿生活。起き抜けに布団を敷いたまま話し込んだりして、かえって前よりもご近所さんな感じがする。

 友人のコートは、89歳になる彼女のお母さんが若いころに着ていたもので、裾広がりのAライン。おうの花みたいなぱっと目を引くピンクの糸に、青みかかったグレーや茶の糸が繊細に織り込まれている。当時、舶来のウール地を奮発し、オーダーメイドで仕立ててもらったそうで、触るといかにも上等な生地なのだと分かる。傷みはどこにもなく、70年も前に仕立てられたことなどとても信じられない。けれども、さすがに私より長く生きてきたコート。艶やかなサテンの裏地は背中と脇の縫い目が裂け、ところどころ穴も空いて、袖を通すのが忍びない。取り替えっこをして帰ってきたもうひとつの理由は、ほつれたところだけでも繕ってあげたいという思いからだった。

 ミシンを持っていない私は、もっぱら縫い針でちくちく。小中学生のころにはあんなに家庭科が嫌いだったのに、神戸に来てからは、簡単な形だけれど、夏のワンピースやパンツをいくつも縫った。はじめて縫い物らしいことをしたのは、テーブルクロスのシミ隠し。点々とついたワインのシミのまわりを、できそこないのチェーンステッチで囲み、草花らしき模様を作った。

 ひとり暮らしにもずいぶん慣れ、今では淋しいと感じることはほとんどなくなった。でも、なんとなく心細かったり、落ち着かない気分のときには早めに仕事を切り上げ、窓辺に腰かけて針を動かす。ひと針ひと針ゆっくりと手を動かせば、きのうよりも今日、今日よりも明日と、少しずつ形になっていくのが嬉しく、慰められる。

 もうずいぶん前になるけれど、じゃがいもの料理本を作るためにフランスに行った。ノワール・ムティエは、塩田とじゃがいも畑に囲まれたフランス西部の小さな島。私が訪れたときは春で、ちょうど新じゃがの収穫の時季だった。白い壁にオレンジ色の瓦屋根、鮮やかなブルーの扉と鎧戸のかわいらしい家々。のどかな昼下がり、庭に渡したロープには、洗濯物のシーツがはためいていた。

 どこの通りだったか、小さな民族博物館があった。中に入ると見学者は私たちだけ。木の柵の向こうに、古い時代に島で使われていた生活の品々が飾られていた。石造りのかまどに置かれた鉄鍋、陶器のふたつき鍋。バター作りのためのつぼや、攪拌するための木の竿。奥へと進むと、手縫いの衣服のコーナーがあった。塩田でかぶるための日よけ帽や、膝のほころびを何重にもかがってあるズボン。黒いブラウスの襟元のレース編み、胸に施されたピンタック。黒い野良着に、黒いエプロン。ギャザースカートもワンピースも、黒い色が目立つのが不思議で、島に暮らすガイドさんに尋ねてみた。

——この島は、土壌があまり豊かではないので、じゃがいもくらいしか育ちませんでした。そのため、男たちのほとんどは、船で遠くの海まで漁に出たり、外国に渡ったりしなければなりませんでした。船は今ほど頑丈なものではなかったのに、無理をして漁に出ることもあったそうです。男たちは、無事に帰ってくることもあるし、帰ってこないこともありました。残された女たちや老人は、重労働にも負けずに塩田に出て働いたり、じゃがいもを育てたりして、夫や息子、恋人の帰りを待ちました。だから、いつ喪に服してもいいように、服装はみな黒っぽい布で仕立て、普段から着ていました。結婚式の晴れ着も黒いのです。ノワール・ムティエのノワールは、黒という意味があります。——

 窓辺で縫いものをしているとき、この博物館でのことをよく思い出す。手縫いには、何かを信じ、待つという思いが込められているような気がする。だから繕い物でも何でも、ていねいにすればするほど、ひと目、ひと目と針を進めるごとに、心が静かになっていくんだと思う。

 けっきょく、友人のコートは裂けたところを縫い合わせ、新しい裏地をテープのように長く縫いつけた。穴の空いた部分は接着芯で挟み込み、同じ布を重ねて補強。見よう見まねで千鳥かがりもした。最後に袖のほつれを辿っていたとき、たぶん友人のお母さんが繕ったであろう水色の糸が出てきて、なんだか世代を超えた女同士の人生を遡っているような気持ちになった。

〈 了 〉

文・写真 高山なおみ

← 前の記事第30回 映画とごはんの会
『奥会津の木地師』

関連記事