草日誌

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2026年3月28日

ソラノマド|高山なおみ 
春のお便り

| 春のお便り |
 
 おはようございます。
 今朝は、きのうの雨で洗われたような空。雲がぽっかり浮かんでいます。

 みなさんのところではもう、桜が咲きはじめたでしょうか。
 こちらは、ぼちぼち。まだ肌寒い日もあるので、小さなストーブを出したままですが、季節は着々と巡り、春がいったりきたりしているのが分かります。
 
 少し前のこと。木蓮の白い蕾が空に向かってつんつん膨らんでいたころ、私は毎日、窓辺の棚の片づけをしていました。ちょっと模様替えをしたくて。

 その棚には、雑誌に載ったレシピやインタビュー、台所の取材記事など、東京にいたころの仕事の切り抜きがたくさん並んでいて、プラスチックのバインダーやクリアファイルはすっかり陽に焼け、角がぼろぼろ。

 棚の前に座り込んだ私は、床に散らばったくずを掃除機で吸い込みながら、捨てていい物と、取っておく物をひとつひとつ分けていきました。

 写真を見ては、子どもみたいに若かったなあと思ったり、よくがんばって仕事をしていたなあと感心したり。対談記事を読んで、リビングの大テーブルや部屋の空気の感じを懐かしく思い出したり。

 1日ではとても終わらず、次の日にも続きをやりました。何しろ、すごい量なのです。

 その日は雨降りで、窓が霧でまっ白。埃と花粉症のせいで、マスクをしていても鼻水が出てきます。

 棚の奥から、小さなメモ帳が何冊も出てきました。
 ページをめくると、仕事でよく飛行機に乗っていたころに、窓から見えた雲海のことが書いてありました。

 夕陽に照らされた大蛇みたいな河や、彫刻刀で彫ったような山の峰々。亡くなった向田邦子さんへの思い。

 また別のメモ帳には、はじめて沖縄に行ったときに、船着場で食べたソーキそばのこと。コックさんの表情。

 韓国旅行に持っていたメモ帳には、どこで何を食べ、何を買ったかが事細かに記され、また別のページには、ある日にかかってきた母の電話について、話し口調ごと走り書きしてありました。

 見えたもの、感じたこと、思ったことを何でも書きとめる私のクセは、今とちっとも変わっていなくて、自分でもあきれてしまいました。

 いらなくなった物は紙袋に詰め、エレベーターを何往復かしてゴミの日に出したのですが、まだ捨てられないものがたくさんあります。

 最後に残った箱には、東京を引き払う直前まで、壁に貼られていた紙切れがしまわれていました。

 ベランダから見える小鳥のスケッチと、さえずり。ロシアのチョコレートの包み紙、封筒から切り抜いたきれいな切手、白いんげん豆に描かれた福娘などなど。

 どれも色がくすんでしまったけれど、M.B.ゴフスタインの絵本からコピーしたあとがきと、宮沢賢治の詩の一節は、今読んでもやっぱり大好きでした。

 まるで、生まれ変わるようなつもりで荷造りし、神戸にやってきた私。きっとあのころにも、いらない物をたくさん始末したのでしょう。

 あれから10年。変わるとか、変わらないとか、変わらなければならないとか、変わらずにいたいとか。

 そんなことはどうでもよくて、ただふわふわと、私という粒がこの体の中を浮かんだり、沈んだりしているだけなのかもしれない。これまでも、これからも。

 いつか、とっておいた物たちも、すっかり捨ててしまえる日がくるのかな。

 そんなことを思った、春のはじめの片づけでした。
 

 
 
 
 
〈 了 〉
 

 
文・写真 高山なおみ
 
 
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高山なおみさんの本 → 『毎日のことこと』

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