草日誌

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2012年2月16日

下ノ 畑ニ 居リマス

仙台の高校に通っていたころのことです。
その頃は誰よりも早起きで、
毎朝7時すぎには学校にいました。
何をしていたのかといえば、朝練です。
当時ぼくは吹奏楽部で太鼓を担当していたので、朝の始業前は基礎練習の時間にあてていました。
誰も来ていない音楽室の南京錠を開けて、まだ手つかずの朝の光にあふれた部屋で、メトロノームに合わせてスティックを振り下ろします。
テンポは132。
二分音符、四分音符、八分音符、十六分音符……延々と、単調に、スティックを振り下ろします。
両手の感覚と、スティックと、音の粒だけの世界。
左右の音の差がなくなるように、ただただスティックを振り下ろします。
単調でシンプルなことを同じように毎日続けていると、次第にそのシンプルな中の小さな違いに気づくようになっていきます。昨日は滑らかに思えたことが、今日はひどく荒削りに思えたり、ざらついた無機質なものに感じていたものの奥に、意外に彩り豊かな世界がかいま見えたりしてきます。
言葉のいらない音の世界にからだの感覚をまるごと使って浸りきる、いま考えてもなんとも贅沢な時間でした。

【光の端切れ/カルト・コリエより】

年に数回、その音の世界の余韻があまりに深くて、どうしても授業を受ける気になれないことがありました。
ある時、登校してくる級友たちに逆行して連坊小路を仙台駅に向かい、そのまま東北本線の列車に飛び乗ってしまったことがありました。
どこに行くというわけでもないのですが、午後には合奏の練習がありますから(当然授業よりも大切です)、それまでに戻れる場所をと考えて、花巻まで行ってみました。
もちろん頭には、宮沢賢治のことがありました。

  そらのさんらんはんしゃ
  とそつのてんのじき
  だぁすこだぁだぁ
  すきとほったあきのかぜ

そんな賢治の言葉の断片がぐるぐると巡っています。
花巻で列車を降りて歩き回るうちに、羅須地人協会の建物にたどり着きました。
その入口の黒板にその言葉はありました。

  下ノ 畑ニ 居リマス

いまとなってはどうしてなのか、いったいどんな心理が働いたのかよくわかりません。その黒板の文字を読んだときに、さっきまで頭の中でわんわんうなっていた言葉がしゅーっと溶けるように消えていきました。
静かでした。
風の音がしていました。
さわさわと木の枝がゆれる音がしていました。
風に乗って、学校のチャイムの音が聞こえた気がしました。
そして、昼寝のまどろみから目覚めた猫のように、ハッとしてあたりを見回しました。
もちろんそこには賢治はいません。
自分が立っています。
柔らかい土を踏んで、高校生の自分が立っています。
その自分を、高いところから見ている自分がいました。
たしかに、自分を見ている自分がいました。
でも、賢治に見られているようにも感じられました。
もう見ているのか見られているのか判りません。
ただ、自分がそこに立っている。
132のテンポで心臓がなっています。
下ノ 畑ニ 居リマス
何だか無性に腹が立ってきました。
なんだいなんだい、どこにいるって言うんだ。
いるのは自分だけじゃないか、と強がりを言いました。
そして、怖くなりました。
逃げるようにその場を去って、仙台に帰りました。
ほこりくさい音楽室に逃げ込んで、何もなかったように合奏に加わりました。

写真は【Carte Collier】に収録される【光の端切れ】と題された作品です。
撮影の現場でシジミチョウの羽根をじっと見つめているうちに、30年も前の高校生のころのことが、まざまざと思い出されました。自分を見ている誰かの視線を感じて怖くなった時のことを、たった今のことのようにリアルに思い出していました。
そして、人知れず動揺していました。
ああ、怖かった。
写真はクリックすると拡大して見られます。
蝶の羽根の中に、何かが見えるかもしれません。

おかしいなあ、今日はお昼まかないごはんのことを書くつもりだったのに。まあいいや。

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