草日誌

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2022年1月24日

川内倫子写真集『やまなみ』と
やまなみ工房のこと

〈やまなみ工房〉に門はない
自由に開けられる扉からは
いつも誰かの笑い声が聞こえてくる

いのちといのちが出会う時、
〈自分が自分であるだけでいい〉場所に立ち現れる
ある〈可能性〉の物語

2月17日 新しい本が発売になります。

写真家・川内倫子さんが
アールブリュットの才能が集う場所として注目を集める
滋賀県の障害者福祉事業所〈やまなみ工房〉に通いつづけ、
3年の歳月をかけて完成させた写真集です。

本書の舞台は〈やまなみ工房〉という障害者多機能型事業所です。
滋賀県甲賀市郊外の緑豊かな地区に数棟の作業棟が点在し、現在88人が通所して日々を過ごしています。
近年アートの才能が集う場所として注目を集めており、メンバーたちの作品は国内のみならず海外でも高い評価を受け美術館などアートシーンで紹介されることも多くなりました。

本書の成り立ちは以下の通りです。
近江八幡市の菓子舗〈たねや〉グループ発行の冊子〈ラ コリーナ〉で〈やまなみ工房〉を特集することになり写真家・川内倫子さんに撮影を依頼、四季をめぐる撮影期間を経て2019年秋に特集〈いのち と いのち〉としてまとめられました(創刊以来、信陽堂はこの冊子の編集制作を担当しています)。
川内さんはその後も2021年秋まで個人的に撮影を続け、3年の時を経てこの写真集『やまなみ』が誕生しました。

はじめて〈やまなみ工房〉を訪ねたのは2018年5月のこと。
ひと通り工房内をご案内いただいて、あることに気がつきました。
自分がとてもリラックスしているのです。
まず工房のみなさんが生みだす多種多様な作品に圧倒されました。しかし、それがリラックスの理由ではなさそうです。
ではなぜ?
思いいたったのは〈やまなみ工房〉という場に満たされた空気でした。
滋賀県は戦後早い時期から障害者福祉に力を注いできた福祉先進県といわれ、障害のある人たちの創作活動を支援してきた長い歴史があります。
そのような滋賀県でアート活動を展開する施設を訪ねる気負いもあり、少なからず緊張していました。しかし一旦足を踏み入れるやその緊張はあっさりほどけ、ほかでは経験したことのない心持ちに満たされていました。
この居心地のよさは何だろう?
そもそもここは心地よいと感じていい場所なのだろうか? 
しかし、その心地よさの体感はまぎれもなく事実でした。
どうしてこのような場所が可能なのだろう? 
この場所とここに集う人たちのことをもっと知りたくなりました。
自分の体感を信じてこの場所に通ってみようと思ったのです。

川内さんは一貫して〈いのち〉への深い眼差しをもって作品を発表しつづける作家です。
川内さんにここで時間を過ごし作品を作っていただきたい。川内さんが捉えた光景に助けてもらいながらこの場所の豊かさの秘密に少しでも近づけるのではないか、と考えました。

いつも誰かの笑い声が聞こえ、
絵を描く人、
何かを作る人、
歌う人、
踊る人、
寝そべる人、
駆けまわる人、
何もしない人……
思い思いに過ごす人たちがいる空間が、何とも言えず心地よいのです。「混沌が調和している場所」それが最初から変わることのない〈やまなみ工房〉の印象です。
撮影の初日のことを、川内さんは次のように書いています。

初めて訪れたのは2018年の夏。靴を脱いでスリッパに履き替え、ホールのなかに入り、初めまして、お邪魔します、と利用者の方々にご挨拶をしていたら、ふいに大きな声が聞こえたかと思うと、ハッピバースデーツーユーとうたい出した人がいた。ぎゅっと目を閉じて拝むように両手を合わせ、大きな声でうたっているその人の発する力強さに圧倒され、呆気にとられて目を離せなかった。それはまるで大きな滝がごうごうと音を鳴らして水を流しているようでもあり、人は自然の一部だったことを思い出させた。いつでも圧倒的なものに出会うときはそうであるように、胸が震えてしばらくなにが起こったのかわからなかった。
(川内倫子「自分が自分であるだけでいい場所 やまなみ工房のこと」より)

以来、川内さんと〈ラ コリーナ〉の制作メンバーたちと共に〈やまなみ工房〉に通い、創作、清掃活動、古紙回収、散歩などの工房の日常、一日旅行や調理実習、納涼会、運動会、クリスマス会、初詣、お花見などのイベントを取材、朝夕のマイクロバスでの送迎にも同行しました。
そこで出会ったのは利用者とスタッフのみなさんの〈いのち と いのち〉が交感する姿でした。それは〈いまここに確かに息づくいのち〉への尽きることのない敬意であり、〈いのちが生きる〉ことへの愛に満ちた畏怖でした。私たちが〈ひと〉という器に等しく与えられたある可能性と言いかえてもよいでしょう。
素晴らしいアート作品は活動のひとつのハイライトには違いありませんが、しかしそれは〈やまなみ工房〉が目指す到達点ではないはずです。私たち人間には、誰もが安心してすこやかな心持ちでいられる場所と、それを支える人間関係、信頼関係を築く力が本来備わっている。〈やまなみ工房〉のいとなみは私たちに、「人間には〈このような場所〉を作ることができる」という可能性を示してくれます。
川内さんは次のようにも書いています。

毎回やまなみ工房に来るといつのまにか、なんだかすっきりと洗われたような気持ちになる。目の前の人とただ笑い、制作に集中している姿を見て自分も一緒に無心になり、自分のなかの宇宙を再確認する。それは鏡のようであり、それぞれが光を反射して照らし合っているようだ。

長い取材期間のなかで、最初に感じた心地よさをずっと感じていました。それはコロナ禍を経た約2年ぶりの撮影でも変わることがありませんでした。検査を受け、マスクを着け、慎重に手指を消毒して、内心かなりこわばった気持ちで到着した私たちを迎えてくれたのは、以前と驚くほどに変わらないみなさんの姿でした。どこかから聞こえてくる井村ももかさんの歌に、山際正己さんの「ようがんばったなあ」という声に、紙に向かい一心にエンピツを滑らせる井上優さんの手に、運針する田中乃理子さんの指先に、粘土を丸める鎌江一美さんの背中に、こころのこわばりがすーっと解けてゆくのを感じました。「どんな時も、あなたはあなたであればよい」と、無言の声に励まされたように感じました。それが〈やまなみ工房〉の心地よさの秘密なのかもしれません。


この写真集『やまなみ』は〈やまなみ工房〉がどのような場所かを説明的に示すことを目指してはいません。
川内倫子さんというひとりの写真家の目を通して切りとられた工房の日常から、私たちひとりひとりが持っているはずの〈いのちの可能性〉について、感覚を開いてゆくきっかけになれば幸いです。
最後になりましたが、冊子〈ラ コリーナ〉の発行元たねやグループのみなさん、ともに冊子を制作してきたクリエイターのみなさんのお力がなければこの写真集は成立しませんでした。ありがとうございました。
そして写真集にふさわしい形を与えてくださったデザイナー須山さん、翻訳のディエゴさん、校正の猪熊さん、印刷所、製本所のみなさん、いつでも私たちを快く受け入れて撮影に協力くださった施設長の山下完和さんと〈やまなみ工房〉の114名のみなさん、ご家族のみなさま、地域のみなさまに感謝申し上げます。

カバーデザインは2種類あります(左=A 右=B)。
「信陽堂の本棚」から通販でお求めの場合は「A」「B」をご指定いただけます。
(数量の関係でご希望に添えない場合もあります。ご了承ください)

『やまなみ』
川内倫子/写真・文
A4変形判(285ミリ×210ミリ)104ページ
かがり上製背クロス巻ドイツ装

デザイン 須山悠里
翻 訳  マルティーナ・ディエゴ
校 正  猪熊良子
編 集  信陽堂編集室(丹治史彦+井上美佳)
印刷監理 浦有輝
印刷進行 石橋知樹
印 刷  アイワード日光堂
製 本  博勝堂
ISBN978-4-910387-02-4 C0072

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川内倫子
1972年、滋賀県生まれ。2002年に『うたたね』『花火』で第27回木村伊兵衛写真賞受賞。2009年に第25回ICPインフィニティ・アワード芸術部門を受賞するなど、国際的にも高い評価を受け、国内外で数多くの展覧会を行う。主な著作に『Illuminance』(2011年)、『あめつち』(2013年)、『Halo』(2017年)など。最新刊に写真集『Des oiseaux』『Illuminance: The Tenth Anniversary Edition』『やまなみ』(本書)がある。

やまなみ工房
滋賀県甲賀市にあるアートセンター&福祉施設。1986年に開設された。陶芸や絵画、刺繍など、5つのグループに分かれて創作活動を精力的に行い、各々が素材や表現方法を選び、独自の表現を探っている。ファッションブランドとのコラボレーションなども行うほか、2018年には、やまなみ工房での創作活動に着目したドキュメンタリー映画『地蔵とリビドー』が全国各地で公開されるなど、多方面から注目を集めている。

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