2023年2月4日
そのメールが送られてきたとき、なにを求められているのかわからずに繰り返し読んだ。
石巻の海からすぐ近くに一軒のお家があって、2階建のうち1階が波を被った状態で建っています。家主のちばふみ枝さんは「この家を壊したくないし、改装が良いのかもわからない」と考え続けています。特に何か映像を作っていただくなどの成果を求めるものではなく、石巻に滞在していただいて感じたことを私たちに共有してほしいのです。
薄暗く、耳鳴りがするほど静かな家を想像して、その空気をわずかに吸い込んだ気がした。差出人は石巻アートプロジェクト(石巻を拠点とする作家を含む有志3人の集まり〜志村春海・ちばふみ枝・鹿野颯斗)。「家」の記述だけが仔細なアーティスト・イン・レジデンスの招待だった。メールの向こうから「話を聞いてくれませんか」と声をかけられているように思えた。
出発の2日前になって、本当に手ぶらで行っていいのかわからなくなった。
僕はドキュメンタリーというものを仕事なのか趣味なのか、とにかく作り続けていて、人と出会い、人の話を聞き、撮影し、編集を経てできた映像はスクリーンやテレビやスマホを通して別の誰かに届く。企画書も台本もない。事前に練った構想のほとんどは現場に立った時に失われる。だからいつもカメラを持っていくかどうかだけ決める。カメラといると同じ相手や同じ風景を前にしていても、身体が外を感じる濃度や解像度がまるで違う。東日本大震災で最も被害を受けた地を訪ねるのだから、せめて研ぎ澄まされていたい。バックから出さなくてもカメラは持っていこうと決めた。
石巻につく頃には雪が降りはじめていた。待ち合わせた石巻アートプロジェクトの3人は口々に「今日から冬の風になったね」と言った。見覚えのある町並みを車で走りながら、公園の仮設住宅が無くなっていたり、新しい店ができていたり、沿岸を工事するショベルカーのある風景が目に付かなくなくなったことを確かめた。違う街に来たようだった。
2015年、僕はここに取材に来たことがある。耳の聞こえない人たちがどうやって津波から逃げたのかを知るためにろうの方々にお会いしてまわった。被災した家々の解体が済んで乾いた空き地にまばらに家が残っている住宅地を、土埃を含んだ強い風に煽られながら歩き、そこで亡くなったろうの人を想像しようとしていた。尋ね先のアパートの一階が被災して空き家になっていて、叢の隙間から家の中を撮ろうとして覗き込み、完全に生気を失った室内を見て、カメラを下ろしたことがあった。誰かがここに住んでいてもう誰も居ない。それだけのことなのだが、窓の端にぶら下がるカーテンの残骸を見ても、誰かが生活していたことを想像する手がかりになるとは思えなかった。どこにも他者が入り込む余地がなくて妙に戸惑ったのを覚えている。
だが当時の道に来ても、記憶と目の前の風景がつながらない。風景の変貌に対して、自分の記憶は薄れていく運命にある。
ちばさんの家に着いてすぐ庭に伸びたススキの穂が強い光を纏って空気中で泳ぐように揺れているのが目に入った。その向こうに荒れた防風林が広がっていて、そのまた向こうに背の高い松林の黒いシルエットが横並びにあった。隣でちばさんが「小さいですけど、サーって聞こえませんか? これ波の音です。」と言った。国道を行き交う車の音の下に敷かれるようにして微かに波のさざめきがあった。松林の向こうに巨大な防潮堤があって、その向こうに見えないけれど海はあった。
2階建てのその家は津波で割れた窓ガラスと玄関ドアを取り替えて、ちばさんがアトリエにしている。一見すぐに入居できる古めの家という外観なのだが、よく見ると外壁が剥がれて中の断熱材が飛び出ていて、雨樋は凶暴な力で折れ曲がったままだ。
ちばさんに続いて家に入ると玄関の靴箱の上に作業用の手袋があって、蝉の抜け殻のようにある動作の途中で静止し、物質の重さを半分失って宙に浮いているように見えた。捻じ曲がったシステムキッチンの天板の上のお玉、花柄のタイルのある浴室の蛇口、床に落ちた土壁の表面の砂粒、天井や鴨居にこびりついた泥……この家のあらゆる物質が、ある動作の途中で静止しているようだった。自分の吐く息や衣擦れや靴音が際立って大きな音を立てていると思えて、できるだけ音を立てずに入っていく。カメラを構えたが、ほとんど撮れなかった。家に流れる時間に拒まれている感じがして、許可をいただいてもう撮り始めていたのに「撮っていいんですかね?」とちばさんにあらためて聞いてしまった。
陽の落ちる頃からインタビューをはじめた。
――家族が団欒していた時の話を聞けたらなあって。
いい家庭だったと思います。うん。ただ、なんていうかな、「絵に描いた理想の家族」とかってよくイメージであると思うんですけど。そういうものに母は憧れていたと思いますし、まあ父も。みんな? まあ、私もなんかそういう「理想の家族」でありたいって思ってた家族かなとは思います。
――朝ごはんをお母さんが作ってくれて、親父さんが出勤前に新聞読んでてみたいな、そういう光景?
母親らしいと言えるようなことをすべてやってくれる母だったので。ご飯も、もちろんたくさん手料理で作ってくれるし、そうですね、洗濯とか身の回りのこと全部やってもらってて。父は会社経営してたっていうのもあって、仕事、けっこうよく仕事してるなっていうのもあるんですけど、常識的な時間に帰ってきてご飯一緒に食べたりとか。まあ多少遅くてズレたりもするんですけど。うん。そうですね。新聞をよく読んでましたし(笑)
子供の時代はほんとに何も考えずに、安心できる家として過ごしてきたし、いろんなお休みの時に、いろんなところに連れていってもらった記憶があるし。で、大人になってから昔の写真とかを見せてもらったりした時も、自分もなんか、微かな記憶しかないんですけど、いろんなところにお絵描きした写真とかを見て、「あ、そうだったなあ」みたいな感じ。すごく、なんだろうね。「何不自由なくこの子は過ごしてるんだろうなあ」みたいなふうに、今、自分の小さい頃の写真を見ても、見る? 見える? って感じがします。
――おばあちゃんはずっと家に居る感じだった?
そうですね。おばあちゃんは、習い事をけっこうたくさんしてるおばあちゃんで。あと、お友達の家にお茶飲みにいくっていうのがけっこうあって。私はほんとちっちゃい時は、小学校に上がる前とかは、よく自転車の後ろに乗っけられておばあちゃんのお友達のウチに行って、一緒にお茶飲むとかしょっちゅうしてたんですけど。社交ダンスやってた時もあったし、太極拳やってた時もあったし、あと、最後の方は大正琴を習ったりとかしてて。なんかそういうのにちっちゃい頃、くっついていった記憶っていうのもありますね。(おばあちゃんは)社交的で、元気でしたね。おばあちゃんはもう環境みたいな感じで、(家に)居たんで。(家の記憶に)含まれていると思います。
――さきほど、一度は不動産屋の方に渡った家を自分で買い戻したという話を聞いて、解体をしたくないという強い意志を感じたんですけど、なにがそうさせるんですか?
ほんとに解体っていう発想が持てなかったんですね。なんかほら、家を擬人化するとしたら家がまだ、被災したけど怪我した状態で、でもまだ生きてるっていう状態だったんで。あっ、ていうふうに感じてたんですね。だからそんなね。怪我してる人をなんか、怪我してるからってこう、見捨てないじゃないですか。そういうのと近くて。怪我してて、すぐ治してあげることはできないんだけど。「いずれ治せると思うから」みたいな感じで、なんか、うん、で、とりあえず壊すことができないまま、そうですね、うん、そのまま時間が過ぎるんですけど。その延長で(家を)買い戻すっていう時に、その延長だから手離すっていうことは考えられなくて。なんか、その流れの中ですね。
――それは幸せな家族の記憶があるっていうこと? それがこの場所に染み付いてるっていうか、そういう理由もありますか?
まあ幸せな記憶かどうかは、いろんな……わかんないんですけど、あると思うんですけど。そうですね、あの。家にやっぱり、記憶が宿ってるというか。なんか「家が持つ記憶がある」っていうふうに思ったんですね。……で、それを消したくなかったんですね。壊したりして消したくないなあって。
――自分の成長とか家族の変化をずっと家が見ててくれたっていうことですか?
そうですね。見ててくれた、みたいな。やっぱ家って面白いなって思ったのは、家の外側を見たときにも「家」って思うじゃないですか、もちろん。でも、家の機能っていうか、中に人を住まわせることだったりするから。なんか外側と内側があるっていうのが、なんかこう外見と内面があるみたいな感じが気がちょっとしてて。で、なんかその内面、内側に? なんかいろんな記憶が宿っていてこう、なんですかね、ほんとは物に、自分が、記憶とかを投影してる場合は、この物で収まってる感じがあるんですけど、家はなんかこう、全部。その中に私が入ってるんで、包まれているというか、不思議な感じ。なんか、普通の物とは違うことを感じているのかなあと思います。自分が。家に対して。
――どっかのタイミングで、家の方にも視点っていうのがあって、こちらを見ているんじゃないか? そういうような発想が生まれたっていう感じですかね?
なんかねえ、あんまり。擬人化するって言っても人格があるとかそこまでじゃないんですけど。やっぱり、なんか。なんですかね、物質が持つ記憶ってなんなんですかね? ちょっとわかんないんですけど。……家に精神性が宿るかというと、そういうふうに自分は考えてはいないんですね。なんだけど、記憶は持っているっていうのは感じるんですよね。
――今こうなっても?
あっ、今?
――今このように津波と震災で被災して、内装も天井も剥がれ落ちた状態になっても(家が)何かを記憶しているように思うってことですか?
家自体も震災の記憶を持ってる? って思いますけど。
震災を経験した。家が経験した感じですかね。
――解体しようっていう話があって、ほとんどの人が解体したんだと思うんですけど、保存したいってことですよね。
よく言うじゃないですか「家は安心の基地」って。そういうものだったのかなあ? うーん。いまここに暮らしてるわけじゃないんですけど、この家。でもたぶん、いずれ、また住みたい。なんですかね? 無くなってほしくない……ですね。……この状態では、住みたくないですけど(笑)
――住居空間として破綻してるわけだから、見えない空間に(記憶が)蓄積されてるってことですよね。
そうですよね、私は綺麗だったお家を、全然いまも重ねて見えるんですけど、見たことない方はこの状態がね、この家だと思いますよね。その感覚はちょっと違いますよね。
――起きたことの傷が深いほど、忘れたい、新しくしたいという側面もあるんだと思うんですけど。ちばさんが解体を躊躇ったっていうのは、むしろ忘れないことを選んでる。自分自身を守るというよりは、家自身を守るというのが歯止めになったんですか?
幸か不幸かわかんないんですけど、ウチはすぐ直せなかったんですよね。いずれにせよ。震災後の中を自分も生きていたというか、あくまで震災後の中で生きている中で、この被災した家っていうのはあたりまえじゃないですか。馴染みがあるというか、そういう姿であっても不思議じゃないっていうか。その状態を保っていてくれるっていうか。時が止まってるっていうか。何年も経ってるだけど、一定。その姿が(震災前と比べて)変化がそんなに見えないから、逆にいうと「震災でこんな姿になったんだ悲しい」っていう思いと逆に向き合わなくてよかったところがあって。直すとか、震災の姿じゃないものにするっていうのが、おそらくなんですけど、震災と向き合うことになる。変化を受け入れることになる。逆に言うと。
――復興っていうこと?
復興って言ってる間は、まだ震災後じゃないですか。まだ生々しいというか。だから「物がいずれ壊れる」とか「人の時間は有限」とか、そういうことを受け入れるのが怖かったとか、そういうところを先延ばしにしていたのかなとは思っていて。だから、そういう(震災後の)姿のまま保っていてくれた家の、ある時、少しづつだったと思うんですけど「傷んでるなあ」とか、変化に気付いた時がようやく変化を受け入れられるようになったときだったのかなあと思って。家の変化に気づかないようにしてたのか、見えないようにしてたのか、意識的ではなかったと思うんですけど、こんな状態になってるけど、あくまでも自分は震災後の中に居て、家もまだ変化してなくてっていうのが、自分の時間の流れなんだろうなと思うんですけど。
現在進行形だった被災した事実が、ようやく過去になってきた感じがあって……。
語りを聞きながら、目の前に別の時間が起きあがってきているのを感じた。2011年3月11日から11年と半年が経ったいま、石巻で生きてきたちばさんの時間に触れて、東京でいつのまにか震災を忘れて生きてきた自分の時間に穴があいた。
「ようやく震災が過去になってきた」という彼女の声が、被災地に生きる無数の人の心の声のように響いた。それに対して「まだ震災は続いていたんですね」と応じた自分の声もまた震災を忘れていった無数の人の声のように響いた。「ちばさんの考えでは、家はこの会話をぜんぶ聞いていることになりますね」と笑い合った後、家の側からのまなざしがあるとしたらどんなふうに人を見ているだろうかと考えていた。
|人に潜る|松井至|
|第1話|家は生きていく|石巻|①|②|③+映像|
|第2話|近くて遠い海へ|いわき|①|②|③+映像|
|第3話|人はなぜ踊るのか|川崎市登戸+映像|
|第4話|ゆびわのはなし|奈良|①|②|③+映像|
|第5話|いのちの被膜|京都|①|②|③+映像|
|第6話|握手|
|第7話|「いのちの被膜」をめぐる対話|京都|前編|中編|後編|
|第8話|田んぼに還る|西会津|①|②|③|④|⑤|⑥|⑦|
松井至[まついいたる]
1984年生まれ。人と世界と映像の関係を模索している。
耳の聴こえない親を持つ、聴こえる子どもたちが音のない世界と聴こえる世界のあいだで居場所を探す映画『私だけ聴こえる』が公開され、海外の映画祭や全国40館のミニシアターで上映され反響を呼んだ。令和4年度文化庁映画賞文化記録映画大賞受賞。
誰からでも依頼を受けるドキュメンタリーの個人商店〈いまを覚える〉を開店。
日本各地の職人と自然との交わりをアニミズム的に描いた〈職人シリーズ〉を展開。
コロナ禍をきっかけに、行動を促すメディア〈ドキュミーム〉を立ち上げる。
無名の人たちが知られざる物語を語る映像祭〈ドキュメメント〉を主催。
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