草日誌

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2025年12月25日

ソラノマド|高山なおみ 
踊り場の小窓にて

 

| 踊り場の小窓にて |
 
 歯医者さんを出ると、まさかの雨。空は青いけれど、山の上の方に灰色の雲がぼんやり見える。
 お天気雨かなあ。買い物をしている間にやむといいけど。

 横断歩道を渡り、「コープさん」でカボチャと柚子とゆでうどんを1袋買った。今日は冬至だから、カボチャ入りの煮込みうどんにしようと思って。

 冷蔵庫にはにんじんとしめじ、ねぎもある。具だくさんのみそ味にして柚子皮を散らしたら、きっとおいしい。

 雨はまだぽつぽつ降っている。

 これ以上ひどくなったらいやだから、タクシーに乗ろうかと一瞬迷ったけれど、マフラーを頭にかぶり、どんどん歩く。雨も坂道も何のそのだ。

 上りはじめの神社の坂がいちばんきつい。それでもふくらはぎを伸ばしながら、一歩一歩上っていく。

 心臓がどきどきしてくる。
 首の後ろが汗ばみ、上着のボタンをはずす。

 あんなに紅かった桜の葉っぱはみんな落ち、すっ裸になった枝先に、花芽がつんつんできていた。
 まだ小さくて硬いけど、あの芽の中で、来年の花の支度をしているんだ。

 中学校の正門のところまでくると、まるで油を差したみたいに、体がふっと軽くなる。
 筋肉があたたまり、やわらかくなるからなのか、いつもそうなる。

 最後の急坂は、大きく腕を振って、ぐんぐん。

 上りつめたら海を見下ろし深呼吸。いつの間にか、雨はやんでいた。

 きのうは、年にいちどの市の健康診断で、去年よりも血圧が低かった。
 係の人に、「深呼吸をして、力を抜いてリラックスしていてください」と言われ、その通りにして測ったらそうなった。

 私の血圧は人よりも低いけど、貧血の症状はないし、目眩もないから、そんなものだろうと思って過ごしている。

 お腹まわりの検査のとき、「去年と違う数字なので、もう一度測りますね」と言われた。どうやら少し太ったらしい。
 こんどのクリスマスで私は67歳。体は順調に年を重ね、古びていっている。

 この間、東京の友人、川原さんが泊まりにきたときに、ふたりで布団をかぶり、私のベッドから陽の出を見た。
 冬の陽の出は7時くらい。太陽の昇る位置が海の方にかかるので、ベッドの上からよく見える。

 その日だったろうか。

 うちはメゾネット式のマンションで、部屋の中に短い階段があるのだけれど、踊り場に立つと、2階の寝室で鳴っているラジオと、1階のラジオが共鳴して聞こえることを川原さんが発見したのだ。

 その踊り場には小窓があり、風が通るよういつも開いたままになっている。
 
 ちょうどそのとき、『千と千尋の神隠し』の「いつも何度でも」がかかっていて、私たちは少し離れて立ち、サラウンドみたいになった歌を聞いた。
 子どもたちの合唱だった。

 小窓の正面には、ひと部屋挟んで寝室の窓辺。ふたり分の洗濯物の向こうで、海が金色に光っているのが見えた。

繰り返すあやまちの そのたび ひとは
ただ青い空の 青さを知る
果てしなく 道は続いて見えるけれど
この両手は 光を抱ける

さよならのときの 静かな胸
ゼロになるからだが 耳をすませる
生きている不思議 死んでいく不思議
花も風も街も みんなおなじ

 私は耳だけになって聞いていた。
 (きっと、川原さんもそうだろう)

 ゼロになるからだというのは、年をとって、死んで体がなくなることではなく、今のことだと思った。

はじまりの朝の 静かな窓
ゼロになるからだ 充たされてゆけ
海の彼方には もう探さない
輝くものは いつもここに
わたしのなかに 見つけられたから
(覚和歌子「いつも何度でも」より)

 歌が終わるまで、なんだかものすごく長い時間がたった感じがした。
 そのあとも、踊り場の小窓の前にひとりで何度か立ってみたけれど、ラジオの電波の加減なのか、いちどもサラウンドになったことがない。
 
 
 
 
〈 了 〉
 

 
文・写真 高山なおみ
 
 
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高山なおみさんの本 → 『毎日のことこと』

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