草日誌

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2026年1月27日

ソラノマド|高山なおみ 
ラジオの声

| ラジオの声 |
 
 去年の大晦日の朝、眩しい海に向かっていつものように洗濯物を干していたら、なんだか懐かしい感じのするアナウンサーの声が聞こえてきた。

 ギターの音色をバックに語られる、昨年中に亡くなった有名な方たちの名前。彼らの生きてきた道すじに、旅立った日と享年を添えるアナウンサーの穏やかな声には、敬いの心がにじんでいて、私はボリュームを上げた。 

 野球選手の長嶋茂雄さん、ゴルファーのジャンボ尾崎さん、脚本家の内館牧子さん、作家の曽野綾子さん。みのもんたさん、橋幸雄さん、いしだあゆみさん、「ビリーバンバン」のお兄さんの菅原孝さん。ついこの間まで、ラジオで声を聞いていた、ロック評論家の渋谷陽一さん。

 年齢を知ると、80代でもまだまだ若いなあと思ったり、70代と聞くと、あと10年もすれば私もそんな年ごろだと顧みたり。90歳を超えていると、よく生きたなあ、ご苦労さまと拍手を送りたくなったり。

 大掃除をしながらもういちど聞きたくて、インターネットの「聴き逃し配信」に繋いでみた。

 それは、『2025年 もう逢えない、あの人を偲んで~ゆかりの曲とともに~』という番組で、冒頭に流れるアナウンサーの言葉もまた、とてもよかった。

 軽やかな重み(そんな言い方があるだろうか)と親しみが、半分づつの声。ちょっと長くなるけれど、ここに引用させていただきます。

……2025年も、もうほんとにあとわずか、あと何時間と数えるぐらいのところまできましたね。年の瀬、いかがお過ごしでしょうか。毎年、この時期になりますと、この1年の間にお亡くなりになられた方々を追悼する記事など、目にする機会が多くなります。命に限りがある以上、残念ですが、死は避けることができません。それでも、その時代にその人がいたことで、世界が明るく照らされた、勇気をもらえた。あるいは、センセーショナルな話題で、夢中にさせてもらった。そんな方々の記憶は、いつまでも私たちの心に残り続けます……

 私は何度も番組を再生さながら、床にはいつくばって雑巾掛けをした。台所の流しもピカピカに磨き、床にはワックスも塗った。今年も一年間お世話になりました、という気持ちを込め、ふだんやらないところまできれいにする大掃除にぴったりだった。

 掃除をしている間中、「命に限りがある以上、残念ですが、死は避けることができません」というアナウンサーの声が、胸に明るく響いていた。

 誰もがみな、いつかは命を終えること。
 それがどうして明るく、爽やかなのだろう。
 突き当たりがあるというのは、足の置き場が確かなようで、安心して生きられるからかなあ。

 今朝は、お風呂から上がって身繕いをしていると、可愛らしい小鳥が2羽、電線にとまっていた。

 黒い頭に白い頬、白いお腹に黒いネクタイ。長めの尾羽をぴょこぴょこ動かしながら、ツクピーツクピーと鳴くシジュウカラだ。

 そのうち1羽が、ジャンプするように弧を描いて飛んでいくと、あちらを見たりこちらを見たりしていた残りの1羽も、どこかへ飛び立たった。

 新年を迎え、私はラジオ体操をするようになった。
 はじめは体が追いつかず、曲の通りに動けなかったのだけど、続けるうちに弾みがついて、けっこうなめらかに動けるようになった。

 体操がはじまる前には、毎朝必ず「ラジオ体操の歌」が流れる。小学生のころ、夏休みの朝に運動場でかかっていたのとひとつも変わらない、子どもたちの合唱だ。

 窓に向かって胸を張り、私も声を合わせて歌う。

♪新しい朝が来た 希望の朝だ
 喜びに胸を開け 大空あおげ
 ラジオの声に 健やかな胸を
 この香る風に 開けよ
 それ 一 二 三

 向かいの体育館の屋上は、霜で一面、白くなっていたけれど、それでも窓を開け、アナウンサーの弾む声に合わせて体を動かした。

 海に映る光が、眩しい。
 太陽の当たる顔が暑い。
 目をつむると、目の中が赤くなる。

 私は生きているなと思う。

 そういえば、「ラジオ体操の歌」の歌詞を調べてみるまで私は、「ラジオの声に」を「太陽の声に」と思い込んで歌っていた。なんて、うちの朝にぴったりな歌詞なのだろうと感心しながら。

 
 
 
 
〈 了 〉
 

 
文・写真 高山なおみ
 
 
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高山なおみさんの本 → 『毎日のことこと』

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