2012年10月28日
鎌倉ハウスで行われた『町の本屋さんにきいてみよう − 「北書店」佐藤店長と本棚のお話 −』から戻りました。
北書店佐藤さんとのお話はやっぱりとてつもなく面白かった。
トークの前には佐藤さんが選ばれた本と参加者が持ちよった本とで、実際に棚に本を並べてみる2時間ほどの非常に実践的で、しかも佐藤さんらしい率直で正直なワークショップがありました。それらの時間をふまえた全体としては2時間ほどのトークセッションです。短くまとめると誤解を生みそうですが、ご容赦ください。
トークの終盤、その場にいたオオヤミノル氏が「佐藤さんの話を聞いていると、仕入れとか予算とかそういう現実的な話が多いけれど、本屋ってもっと夢があるっていうか、ロマンティックなところからはじめる部分はないの?」と質問しました。
まさにそこ。
佐藤さんの棚の魅力は、その現実的な「やむにやまれず」「どうにかしないと」というところ、手元にある本でどうにかするというところから自然発生的に生まれてきた方法論や考え方だということが、今日じっくりお話をお聞きしてよくわかりました。
そして、いろいろなことが腑に落ちました。
ややもすると「趣味の店」となりそうな品揃えを、開かれた本屋さんの棚として成立させているのは「どうやったらお客さんにとって魅力的な品揃えに見えるか」という一点。つまり「どうやったら売れるか」という現実的な部分。
そこを徹底しながら、「手元にあるものでどこまでできるか、やってやれ」と佐藤さん自身がその行為を楽しんでいる。
選書や並べ方に共感を強要するようなところ、「してやったり感」「ドヤ感」がない。お客さんに楽しんでもらえる棚を、マニアックな品揃えではなく、どこの 本屋さんにでもある本で作っている。その場にあるもので、かなりのものを作ってしまうブリコラージュ。その健やかさが、北書店の棚の魅力を裏支えしているのだと思いました。
ロマンティックは、なくてもいいんです。
いや、こう言い切ってしまうのはちょっと乱暴かな。
本屋さんをひとりではじめようとする人に、ロマンティックがない訳がない。でも本屋さんの棚を作っているのはロマンティックのもっと先にある何かだ。強いて言えば、日々生きているものに接している人だけが感じることのできる「生き生きとした鮮度を」という責任感、「この滞りをどうにかしたい」という生理的な欲求のようなものなのではないでしょうか。
話の中で、北光社から北書店への印象を「森の中を歩いているよう」とたとえました。
その場所に慣れてくると、いろいろな匂いや音、生きものの気配が感じられるようになる。葉のこすれる音、高いところから降りてくる光。
ときどき湿度の違う風が吹いていたりもする。足元には水の気配もある。
探せばキノコや木の実もある。花の蜜だって吸える。
これから自分に訪れるであろう時間への、淡い期待。その豊かさ。
その場ではうまく言えませんでしたが、佐藤さんのつくるお店で感じるのは、森歩きの時に感じる印象にとても似ているように思いました。
しんと静まりかえっているように見える、一見死の世界にも近いような森に輻輳するたくさんのいのちの気配に、知らず知らずのうちに深いところまでみちびかれている。その森の奥でしか味わえない水のおいしさを知っている人たちが集まる場所。
僕にとっての本屋さんは、確かにそういう滋養豊かな森だったのだと思います。
(仙台の八重洲書房しかり、横田やさんしかり、百貨店の上のフロアにあったころのリブロ池袋店しかり)
そんなことを思い出しながら梨木香歩さんの『水辺にて』を読んでいたら(このところ読み直しています)、次のような一節にあたりました。
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森の音。
本当に、森は水の生まれてくるところ。ここからスタートし、そしてまたここへ帰る。
森の様々な匂いを集めて、風が川筋によっていくように、水もまた、人の想像の及ばない時間をかけて、様々な場所を留まることなく走り抜け、その履歴を背負っていつか海に向かう。川の水を迎える海は、魚は、生物たちは、その物語をどう読み解くのだろう。
その微妙に違う物語を、読み込む力が人に備わっていないにしても、そのことに思いを巡らせ、感官を開いていこうとすることは、今、この瞬間にも、できることなのだと信じている。そしてその開かれてあろうとする姿勢こそが、また、人の世のファシズム的な偏狭を崩してゆく、静かな戦いそのものになることも。
(梨木香歩「川の匂い 森の音3」、『水辺にて』所収)
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……その開かれてあろうとする姿勢。
その姿勢を、佐藤さんのつくるお店から感じています。
打ち上げの席で「思い出の一冊、人生を変えた一冊とか、ありますよね?」と聞かれた佐藤さんが「いやあ、本屋をやっててこんなこと言うのもなんだけど、そういうのないんだよね」と頭をかきながら答えていました。
「そういうことを言い切ることのうさんくささを本から学んだ、というかさ」
そのやり取りを聞いていて、この人はほんとうに信頼できる人だ、と思いました。