草日誌

草日誌

2012年10月13日

木になればいい

一箱本送り隊の活動を途中で抜けて、土浦に向かっています。
上野駅に向かって歩きながら、奏楽堂ちかくの欅の梢を渡る風の音、葉ずれ音を聴きました。立ち止まって聴きました。
続いて楠の梢と、葉ずれも聴きました。
じっくり聴きました。
こんどは自分も一本の立木になった気持で、高いところを風が触れていくのを感じながら。

それだけで大満足。
いい一日です。

目を柔らかくつぶって、風の音を聴きながら、梢を揺らしながら、生きているなあとうれしくなりました。
生きている実感は、風が肌をくすぐり、遠くの葉っぱのひそひそ話を聞く、このくらいのことで十分に感じられます。
この世界の中にいる自分。
たしかにいまここにいる自分。
その時世界は「ここにいてよし!」と微笑んでいます。
ありがとう。

昔見た夢のことを思い出していました。

僕はゴンチチのおふたりと本を作っていて(その当時実際に作っていました)、そのご縁でコンサート開演前の楽屋を訪ねます。
と、チチ松村さんがおひとりでギターのチューニングをしています。
ご挨拶をすると、チチさんがこちらを向いて
「今日は三上さんは、急な発熱でこられへんようになってしもうた」
「え? じゃあコンサートは?」
「そうやね。たんじくん、代わりに出て」
「ええ?」
「何もむずかしいことはないよ」
そういって僕の目をのぞき込みます。
「たんじくん、木(チチさんは木を「きい」と発音しました)になればええんや。木は自分で揺れてるんやないよ。風に身をまかせてるだけや。音楽ってなあ、そんなもんや。木になればええんや」
そして僕にむかっておもむろにギターを一本差し出します。
ほとんど触ったことすらない僕が戸惑っていると、チチさんはすっと椅子を立って歩き出します。
「たんじくん、そしたら行くよお」

そこで目がさめました。
目覚めてからもずっと、「木になればええんや」というチチさんの言葉が耳にのこっていました。
上野公園を歩きながら、この夢のこと、久しぶりに思い出しました。

木になればええんや。
そしたら行くよお。

思えばこうやって、たくさんの人に手を引いていただいて、生きてきたんだなあ。
生きているって、すごいことですね。

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