草日誌

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2012年10月11日

宮沢賢治の思い

戦争が人を幸せにしたことは、いまだかつて一度もありません。
たとえ何かの大義のためであったとしても、傷つく人がいて、誰かの命が奪われるという事実に違いはない。その痛みの上にしか成立しないことを、幸せや正義と呼ぶことは、僕にはどうしてもできません。

上田紀行さんの『覚醒のネットワーク』の一節を引用させていただきます。

私たちと地球の病を癒す運動は、今までの旧型の政治運動、社会運動とは異なっています。
古い型の運動は「権力」を握っている「強者」を「弱者」が打倒し、権力の座から引きずり降ろすことを目標としていました。しかし、新しい運動の目標はそうした表面的な関係の逆転ではありません。自分が権力を握って強者になろうとするのではなく、この世界に強者と弱者を生み出す構造そのものを超えていこうとするのです。
なぜならば、弱者が強者に転じても構造が変わらない限りその構造は常に新たな弱者を生み出さざるを得ないからであり、そしてもうひとつ重要なのは、現在の構造のもとでは強者と見える側も実のところ重い病に悩まされているからです。
勝つか負けるかという戦いは本当の勝利者を生み出しはしません。その戦いに足を踏み入れたとき、私たちは既に負けているのです。その戦いに勝とうが負けようが、そこでの強者は戦い自身であり、戦い合う双方は勝負に関係なく初めから負けているのです。
本当の勝利、それはただひとつ、戦いの誘惑に打ち勝つことからのみ生まれます。戦いの中で勝つのではなく、戦い自身に勝つことによってのみ私たちは勝利を手にすることができるのです。
(上田紀行『覚醒のネットワーク』より 改行は引用者)

「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない」

これは宮沢賢治の、有名すぎる言葉です。
この言葉はこう続きます。

世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない
自我の意識は個人から集団社会宇宙と次第に進化する
この方向は古い聖者の踏みまた教へた道ではないか
新たな時代は世界が一の意識になり生物となる方向にある
正しく強く生きるとは銀河系を自らの中に意識してこれに応じて行くことである
われらは世界のまことの幸福を索(たず)ねよう 求道すでに道である
(宮沢賢治/「農民芸術概論綱要」より)

僕にとって、311以降、賢治のこの言葉がまったく違った意味を持って響くようになりました。「世界ぜんたいの幸福」という大きすぎる言葉が、肌身に寄りそった感触を伴って感じられるようになりました。なんという自分の想像力の貧弱さ。
そんな話を、先日益子でお目にかかった川崎義博さんと焚き火を前にしていました。
賢治は過去の人ではない。
少なくともここに引用した言葉を手がかりにすれば、賢治はいまこの場所で生きている同時代人だと思える。そして賢治が中継してその存在を教えてくれる「古い聖者の踏みまた教えた」道を、いま自分たちが歩んでいる。
「世界がせんたい幸福に」なることのリアリティを、肌のどこかで感じている。信じている。そういう人が確実にいる。
市井にこそ聖者が生きる時代。
たくさんの先達や仲間たちと言葉を交わしながら、そう実感しています。
戦争はなくなる。
武器の売買が経済の根本を動かすような時代は終わる。
そう信じています。
http://www.aozora.gr.jp/cards/000081/files/2386_13825.html

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