草日誌

草日誌

2012年8月23日

北山耕平さんとの会話

午後、北山耕平さんと新しい本の打ち合わせ。
昨年11月11日に倒れられて以来はじめてお目にかかりました。
大きな病気を生きのびつつある北山さんの表情は、誤解を恐れずにいえば 生きることへの意志に満ちた「戦士」のそれでした。

震災と原発の事故以来、生きることへの不安を抱えた僕たちに北山さんが繰り返し伝えてくれたメッセージは「生き延びよ」でした。
いまここに、そう言いつづけた人の「命」がある。
いま目の前に、まさに生き延びた人の、むき出しの「生」がある。そう思いました。
病が持ち去ってしまったものと、持ち去れなかったもの。
魂の存在。

北山さんの印象深い言葉。
「今回つくづく思ったけれど、僕は見る人。そして、見てきたことをみんなに話する人だとおもう」
北山さんはからだの自由がまったくきかない病床にあってさえ、周囲に意識を向け、まわりの会話に耳をすましていたそうです。
そしていま生きているその肉体に「降りてくる何か」も、漏らさず受けとめようとしていたのだと思います。
それは「架空の問題じゃなくて、生き方の問題なんだ」。
生きること、いまこの状況の日本という場所で、大きな赤ん坊として改めて生き直すこと。
その生への「ためらい」を含みつつ、生と死の紙一重のところに赴き、帰ってきた方が語り出すこと。
その言葉に、耳をすましていきたいと思います。
その「ためらい」が命と魂という大きな智慧にふれるカギになるように思いました。

Facebook Twitter google+ はてなブックマーク LINE
← 前の記事近江の街で
次の記事 →バームクーヘン工場

関連記事