草日誌

草日誌

2012年2月15日

古い辞書

写真は、仏和辞書のあるページです。
【Carte Collier】のタイトルなどを考えていたときに、【collier】の発音を調べました。
この辞書は、古いコンサイス。ぼろぼろで崩壊寸前です。革の表紙も裏側は本文ごと剝がれてなく、項目も[videment]までしかありません。
父から譲り受けたもので、彼が大学にいたころに使っていたものです。奥付はすでにありませんが、1949年に改訂された、と書いてあります。きっと昭和30年代のものでしょう。
ぼくは昭和42年生まれですから、この辞書は当然自分が生まれる前のもの。普段は何気なく使っている身の回りのものでも、実は自分が生まれる前に作られたものはたくさんあります。
不思議ですよね。
自分たちはつい人間の肉体の時間でものごとを考えてしまいますが、この肉の袋はたった数十年しか使えません。もっても百年ほど。
しかし、自分のものまわりのモノの多くは、そんな時間を遥かに超えて長生きします。そしてそのモノの背景には、それを作ったり使ったりした人がいる。その人が過ごした時間がある。見つめた風景がある。
前川秀樹さんとの作業は、いつもそういう[時間]を考えることにつながっていきます。
長い目で見ることができる存在、例えば樹木や山、川の視点で見れば、ぼくたち人間の方が風景の前のあたりをちょこまか動きまわり、次々に現れては消えていく脇役にすぎないのでしょう。
前川さんと話していると(たいていはどうでもいい馬鹿話ばかりしているのですが)、ふとそういう時間の流れを感じる瞬間があります。乾いた風が鼻先をかすめていきます。遠くを雲が流れています。川のせせらぎが耳にくすぐったくて、太陽の光はちらちらとくすぐったい。そんな時間が見えるように感じる瞬間があります。
古い時代に作られたモノたち、鉱石や歯車や動物たちの骨に、自分たちがじっと見られているのを感じます。この、もの言わぬものたちに比べ、自分たちはなんとおしゃべりで落ち着きがなく、表面的なことにばかり捕らわれているのか。
今回作っている【Carte Collier】も、充分にそういう時間の思索に誘ってくれる作品に仕上がると思います。
「どうぞお手にとってご覧下さい」
といいたいところですが、完成は4月下旬です。

追伸 写真の辞書の中の文字、愛らしいですよね。とくにカタカナ。上の方に「ウソツキ、ウルサイ奴」と書いてあります。例はよくありませんが、こんな書体でみるとウソツキですら愛らしく思えます。あれ? ぼくだけですか?

Facebook Twitter google+ はてなブックマーク LINE
← 前の記事コリエ 世界の断片
次の記事 →下ノ 畑ニ 居リマス

関連記事