草日誌

草日誌

2011年9月11日

満月の夜に

2002年9月21日、中秋の名月の夜。
ぼくたちは塩竈の浦戸の海に浮かんでいました。
鏡のような水面を、音もなく笹舟のようなカヤックが進んでいきます。パドルを動かすたびに、夜光虫がさらさらと光ります。塩竈で生まれて育ちましたが、この海でカヤックが出来るなんて知らなかった。
「シーカヤックに乗って満月と夜光虫を見るツアー」に誘っ てくれたのは、作家の田口ランディさんでした。その朝、本塩釜駅でランディさんとご主人、ももちゃんと、カヤックの先生である大将の四人と待ち合わせ、島 への連絡船の発着する観光桟橋まで案内しました。案内しながらも、少し後ろめたい気持ちでいました。この海の水がそれほど綺麗でないことを知っているか ら。潮風の気持ちよさよりも、そこに含まれるドブの臭いの方が気になって、申し訳ない気持ちになりました。
「たんちゃん、仙台とかあっちの方の出身でしょ? 松島湾にさ、桂島っていう島があるの、知ってる?」
その島のことならよく知っています。だって、子どものことから何度も遊びに行った場所ですから。
「そこにシーカヤックの基地があるんだって。そこから夜の松島湾にこぎ出すの。夜光虫が光って、空には中秋の名月だよ。いこうよ〜」
そう誘ってもらったら、地元出身者としてはご案内するしかありません。しかし正直困ったことになったとも思っていました。
その前年(2001年)からランディさんは「ダ・ヴィンチ」誌上で「聖地巡礼」という紀行エッセイを連載しており、ぼくはその担当編集として、すべての取材に同行していました。
天河弁財天にはじまり、屋久島、富士山、知床、広島、下北 半島、阿蘇の水源地帯と球磨川、高千穂、鹿島、出雲……文庫化にあたって『水の巡礼』とタイトルが変更されたことからもわかるように、この旅のシリーズは まさに水との対話をもとめての旅でした。さらにそのふた月ほど前には南シベリアのアルタイ共和国への旅にご一緒した直後のことでした。言ってみれば水と自 然の美しいところを選んでの旅を続けている、まさにその中でのお誘いです。
自分の生まれ故郷のこの海が、それらの場所に比べるとどう しても汚く、みすぼらしく、スケールも小さく思えて仕方なかった。だからランディさんからのお誘いも、悪い冗談のように、何かの試練のように感じていまし た。がっかりされるのではないか、と誰かの披露宴で羽目を外した身内の恥ずかしい振るまいに目を被うようないたたまれなさを感じていました。
こどもの頃から松島湾には親しんできました。夏ごとの桂島や寒風沢(さぶさわ)など島々での海水浴、潮干狩り、そしてもちろん父に連れられてのはぜ釣りには数え切れないほど出ています。だからこそ、この海が澄んだ透明な海でないことをよく知っています。
そんな自分の気持ちにフタをして、市営の連絡船に乗り込み ました。スクリューが立てる泡も航跡も、澱んだ茶色をしています。それでも湾に浮かぶたくさんの小島を眺め、かもめにエサをやり、みんなは楽しそうにして います。こころのなかでは「どうなんだ? どうなんだ?」と回りの反応を気にしていました。それでも潮風にあたるうちに、だんだんと気持ちが広がっていき ました。「ここで育ったんだなあ」という思いが育ってきました。
カヤックの基地は桂島の石浜という小さな港にありました。 すぐ目の前に野々島が見える、水道に面した小さな港の一番奥、コンクリートの岸壁の間に、ところどころ切り出された石組みが残る古い港です。はしけから水 面を覗きこむと、小魚の群れが泳いでいるのが見えます。その水面に、重い雲が映って見えました。
日があるうちに、カヤックの練習に出ました。静かな海でした。9月、まだ寒いという程ではないものの、ときおり通り雨が降りました。海から満月を見るというツアーでしたが、夜のツアーはお天気次第で決めようということになりました。
早めの夕食は、焚き火をおこして、ダッチオーブンで作るサムゲタン。
雲はあいかわらずで満月を眺めることは無理そうでしたが、雨はどうにかそれ以上は降らず、夜の海にこぎ出しました。
暗い海では、距離感がつかめません。思いのほかスピードが 出ているような、いくら漕いでも前に進んでいないような、からだごと闇に溶け込んでしまったような不思議な感覚です。先頭を行くガイドさんが入り江の奥で みんなを呼んでいます。波が作った洞窟に一挺ずつ進んでゆきます。そして狭いトンネルを抜けて、ぼくは声をなくしました。
鏡のような水面。どこまでも平らな、歩いて渡れそうな静かな水面の向こうに島々の姿が浮かんでいます。その上には幾重もの薄雲が流れ、静かに流れる雲の濃淡の向こうに、大きな満月の影が見えています。
手を伸ばせば触れられる程のところに海があります。目の高 さは水面から60センチほど。この海には何度も出ていますが、こんなに低い位置から島を見るのははじめてでした。 まさに墨絵の世界でした。濃い黒から薄いグレーへのなめらかなグラデーション。色彩はないけれど、これ以外にあり得ないような海と空と島影のバランス。そ して一点、染め抜いたような月の姿。あまりに静かで調和の取れた光景でした。そして千賀の浦(塩竈湾の古称)が万葉の昔から人々に愛されてきた理由がはじ めて分かったように思いました。
朝、駅で集合した時からずっと胸の奥でくすぶっていた後ろ めたさは、すっかり消えていました。単純なものです。さっきまでドブの臭いと思っていたものが、豊かないのちに満ちた海の匂いに感じられました。箱庭のよ うな狭い湾に浮かぶ小さな島々は、それぞれに陰影を持つ大切な捧げもののように思えました。
「ここで育ったんだなあ」
改めてその思いがこみ上げてきました。泣いていたかもしれ ません。その瞬間、世界中の人たちに、この美しい光景を見せてあげたいと思いました。このあり得ないようなバランスを、誰かれかまわずに自慢したくて仕方 ありませんでした。世界に向かって、自分はこの海のそばで生まれて育ったんだ! と宣言してまわりたい気持ちになりました。

その思いは、今でも続いています。
あの夜以来ぼくは塩竈のことを人に話すたびに、カヤックで見る島々の美しさのことを語っています。
いつか自分の母や兄にも、この光景を見せてあげたいと思ってきました。母はもう76歳です。いつか叶う日がくるでしょうか。
明日は中秋の名月。今年は叶いませんでした。
3月11日、桂島をはじめ浦戸の島々は大きな津波の被害を受けました。
カヤックの基地はどうなっているだろう。養殖や漁業が回復 するまでのあいだ、松島湾のネイチャーツアーが少しでも復興の足しにならないものかしら。復興の方向性の中に、このあまりに美しい海と空と島々を愛でるこ とが組み込まれればいい、そう思います。少なくともこの海では、そこから採れる海産物の恵み以上に、その風景とそれを愛でる人の視線が、その土地と人を生 かすものになれば、と。

Facebook Twitter google+ はてなブックマーク LINE
← 前の記事ロルフィングで感じたこと
session 4
次の記事 →ロルフィングで感じたこと
session 5

関連記事