草日誌

草日誌

2011年8月25日

旅の日々
東北へ

京都から帰った翌20日の朝、東北新幹線に乗り、仙台から郷里の塩竈へ。今年はすでに3回目の帰郷です。ここ数年は帰っても年に一度程度だったことを考えると、震災で故郷に向きあう時間が増えたことになります。
本塩釜で仙石線を降りると、駅前のイオンは営業を再開していました。建物に添って観光桟橋(ああ、何という懐かしい響きでしょう)に向かう道の街灯に、荒井良二さんによる「ふらっぐ」が飾られていました。これは塩竈のギャラリー「ビルド・フルーガス」の高田彩さん、山形芸術工科大学の宮本氏たちによる企画、荒井良二さんの「ふらっぐしっぷ」によるもの。朝から宮本さんたちが本塩釜駅周辺で設置作業をおこなっているということで来てみましたが、すでに見えるところは設置済みでした。

それでも旗をたどりながら国道45号線に向かっていくと、ちょうど実家の近所「増友」さんの前あたりで作業中の宮本武典さんを発見、とりあえずのごあいさつと昼休みの合流を約束して別れました。(この「増友」さんの笹かまぼこは、自分の中では間違いなく一番おいしい笹かまです。6月に来たときは復旧工事中でしたが、今回は営業を再開。お土産に持って帰りましたが、以前よりもさらにおいしくなっているように感じました)
宮本さんと合流しなおし、昼食を摂りながら打ち合わせ。
9月19日に仙台の10-BOXという施設で行われる予定の「ふらっぐしっぷ」に「一箱本送り隊」が参加して本を配りたいと考えており、そのご相談でした。参加をご快諾いただき、検討事項を確認して解散。宮本さんとは、新潟で活動するエフスタイルと本を作っていた時に取材でお世話になり(エフスタイルの二人は東北芸工大の出身です)、その後昨年は「東京芸術学舎」での講座を担当するきっかけをくださった方でもあります。なにかとお世話になってばかり、という一方通行の関係で、いつか恩返しができたら、と思っています。
次は塩竈在住の写真家・大江玲司くんに「クラシオ」という市のサイト(9月スタート予定)の取材を受けました。「どこか丹治さんの好きな場所で撮影しましょう」と言われ、選んだのは塩竈神社裏坂のぼり口にある「勝画楼」。あまり訪れる人はいないようですが、ここへの岩を削った細いのぼり道はこどもの頃から大好きで、歩くだけでうっとりします。そのうっとりが伝わったのか大江さんもライターの阿部さんも口々に「いいですね、ここ」と言ってくれました。
勝画楼の前には江戸期に計画された西洋灯台の台座が残されています。この台座の上に立つと、いつも、港から吹き上がる風や潮の香り、停泊する木造船のきしむ音までが聞こえてくるような錯覚を覚えます。いまは埋め立てが進みすっかり市街地の中ですが、以前はここが塩竈神社の鎮座する岬の突端で、確かにこのすぐ下まで港が来ていたことが実感できる場所、つまり昔の塩竈の姿を感じられる場所です。
震災後5月に塩竈に戻ったとき、真っ先にこの場所に立ってみました。地震に震え、津波に洗われた塩竈の街の姿は、どこか本来この街が持っていた気品を取り戻しているように見えました。虚飾をはぎ取られて、この街がしおがまさま(地元では愛着をこめて塩竈神社をこう呼びます)に守られた場所であることが素直にうなずけるように見えたことを思い出しました。
取材のあと、玲司くんと阿部さんは次の取材へ。ぼくは本塩釜まで戻って夕方の打ち合わせまで資料つくり、と思い作業ができる場所を探しましたが、はたと困りました。駅前に喫茶店やカフェのような場所がほとんどないのです。イオンの中に小さなミスター・ドーナッツがありましたが家族連れで満席。一軒近所に古くからの喫茶店があるのを思いだして入りましたが、ここは60代70代の皆さんの憩いの場所になっていました。おじいさんおばあさんたちの活きのいいゴシップシャワーを受けながら、はしっこの席で小さくなってコンピュータの作業。データを持ってセブンイレブンで出力しながら、つくづく考えてしまいました。
「このまちに、カフェがあったらなあ」
おいしいコーヒーやちょっとした食事がとれて、夜はお酒もでるような、いろいろな年代の人が行き来して、情報も人の気配も集まるような場所があればなあ。塩竈神社を訪ねる参拝客も、お寿司やさんを目当てにやってくる観光客もそこそこに多い街で、駅前から神社にかけてめぼしい店がないのは、もったいない。地元の人も観光客も、そこに行けば何らかの情報が得られる、メディアとしての空間があれば、助かる人は多いでしょう。人の気配を感じながら、本を読んだり物思いにふけったりする場所は、必要だよなあ。そこから生まれる文化が、確実にあるのに。
そこから急速に塩竈カフェの妄想は広がるのですが、それはまた別の機会に。
夕方、同じく東京から来ている南陀楼綾繁さんと合流して、港町の尚光堂さんに打ち合わせに。「塩竈フォトフェスティバル」の実行委員でもある嶺岸知(さとし)さんの店です。嶺岸さん一家は子どもの頃からのご近所で、知さんは同じ子供会でお世話になっていた先輩ですが、お互い大人になってからお目にかかるのは初めてでした。
津波の時に撮られた写真を見せていただきながら、改めて塩竈の津波の状況を知りました。報道こそ少なかったし、比較をすればさらに甚大な被害を受けた場所はたくさんありますが、それでもこの場所もかなりの状況だったのです。
「塩竈フォトフェスティバル」は今年三回目を迎えます。この日は塩竈の渡辺誠一郎さん、嶺岸さん、先ほどの大江玲司くんに加え写真家の平間至さんもキュレーターの菊田樹子さんも東京から集まっての実行委員会に我々もお邪魔して、フォトフェスティバルの会期中に「一箱本送り隊」のイベントも並行して開催したいとご説明、皆さんの承認をいただきながら、具体的な場所や内容を検討、貴重なご意見もたくさんいただきました。平間至さんは翌日朝から南三陸町で炊き出しがあるとのこと。震災直後から地元塩竈だけでなく被災地各地で積極的に炊き出しやライブを企画されています。平間さんとは初対面でしたが、皆の話を黙って聞きながら目線は滑るように素早く出席者を観察していらして、こまやかな気配りとフットワークを実感しました。
ということで、10月22日23日には、塩竈で「一箱本送り隊」企画による一箱古本市と映画の上映などが行われることになりました。映画の上映は被災地各地で映画の無料上映を続けている「東北シネマエール」さんとの共同企画です。詳細はまた改めてご案内いたします。
9月10月と忙しくなりそうです。塩竈の妄想カフェ計画も、何か動き出しそうな予感がしています。何の根拠も具体的な方策も、今はまだありませんが。

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