草日誌

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2011年8月19日

桜島でシーカヤック
野元隊長のこと

夏休みの後半は鹿児島で、野元尚巳さんと花田理絵子さんのお宅にお世話になりました。野元さんは「かごしまカヤックス」という、鹿児島でのシーカヤックを中心に、トレッキングやサイクリングの企画会社を経営されています。幸運なことに、滞在中の8月9日に「桜島南部シーカヤックツーリング」に参加させていただくことができました。
シーカヤックは以前一度だけ経験がありました。井上はその後、病気で手足に麻痺を持ってしまったので、多少の不安がありましたが、シーカヤックの楽しさはよく知っていたので、わくわくしながら隊長(野元さん)の車に乗り込みました。

メンバーは東京からのお客様とわたしたち居候組、隊長の計8名。船への乗り込み方やパドルの扱い方をなどを練習し、2人乗りのカヤックで錦江湾に滑り出しました。
シーカヤックの楽しいところは、水と一体になれるところ。乗り物に乗ってここまで水面に近いところから景色を見渡せることはそうありません。慣れてくればスピードも出るし、自在に動くことができます。自然の一部になったような気持ちよさです。

溶岩に沿って進み、温泉が湧いているところに案内してもらい、隊長のネイチャーガイドに耳をすませたり、たくさんの小魚がはねるのを歓声をあげて眺めたり。昼食はみんなで火を焚いて海水でパスタを茹で、隊長がきのこと野菜のトマトソースパスタを作ってくれました。メンバーは少しずつ親しくなっていきます。ライフジャケットをつけたまま海に飛び込んで浮かんで遊んだり、イルカを見たのもいい思い出になりました。目の前には大きな桜島。ぷかぷかと浮かびながら、桜島を独り占めしてしまったような贅沢さ。船を下りた後は桜島のマグマ温泉に入り、名残惜しい気持ちで解散しました。いつか、もう一度シーカヤックに乗りたいな、と日頃から言っていた夢が思っていた以上に早くかなってしまいました。

心配だったパドルさばきについては、左手が弱いのでどうしても左方向に行きがち。そして休みすぎでパートナーにはすっかりお世話になってしまいました。でも何度か乗るうちに自分なりのバランスをとるコツをつかめそうです。そして体力をもっとつければ長い間こげるはず。

思えば野元隊長にはじめて会ったのは2年前の夏。屋久島の宮之浦港で、会うなり「白谷雲水峡」に行くことになったのでした。病後、足場の悪いところを歩いたことがなかったので、正直まったく自信がなかったのですが(後から隊長にも「あまりにふらふらしていたのですぐに無理だと思った」と言われました)、登るうちにだんだんコツがつかめてきました。頭と身体が繫がっていくのを実感する感じ。欲もどんどん出てきて、とうとう頂上の太鼓岩まで行ってしまいました。


(2009年7月7日 白谷雲水峡から太鼓岩へ)

これは今でも信じられないほどの、奇跡的で感動的な体験でした。
隊長に導かれて、はじめて会ったのにかかわらず、いつの間にか全幅の信頼をおいて着いていった結果でした。必要以上に手を貸すことはなく、でもきちんと見てくれている安心感があるのです。前を歩いていても、背中全体が目になっているかのように感じます。「この人についていけば大丈夫」と無条件に思える、不思議な体験でした。そしてこれが自然と本気で向かい合うプロの力なんだと思ったのでした。

隊長は今までに単独シーカヤック沖縄−鹿児島遠征、アラスカ遠征、自転車でのオーストラリア横断など、数々の冒険をしてきた本当の「冒険家」です(ご本人は「お笑い冒険家」とおっしゃいますが……)。自然の中で本気で遊ぶ。それは命をかけることでもありますから、体力だけでなく知識や判断力、洞察力や想像力やいろいろな力が必要なのだ、ということをはじめて意識したかもしれません。ましてやお客様のアテンドをするということは、その責任は何倍にも膨れあがるわけです。「覚悟」を持って、楽しみ、楽しませているのです。
「白谷雲水峡」では導いた隊長とついていったわたしの間に目に見えない大きなエネルギーが生まれたんだと思います。その「何か」をやり取りした、という感覚は大きな、次につながっていく経験になりました。隊長と過ごす時間は、いつも自然=身体との付き合い方についての学びの時間のようです。自分で限界を決めることはない、と教えてもらっているのです。
そういえば、ビール缶のプルトップを開けるコツを教えてくれたのも隊長でした。障害を持っても自分で伸びしろがある、と気づけば伸ばしていくことができる、といつも教えてくれるのです。

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