草日誌

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2012年7月1日

Zuhre 2 刊行記念座談会
[Zuhre と像刻をめぐって]
第1回

| 紙の塊にどれだけ作者の思いを込められるか

丹治__12月12日からのDee’s Hallでの個展にあわせて『Zuhre 2』がいよいよ刊行されます。
 前川さんがこれまで数年間作ってこられた〈像刻〉が背景に持つストーリーを文字で表現したはじめての本『Zuhre』の刊行から1年半、語り部として前川さんの立ち位置もはっきりしてきたように思います。
 この機会に、このシリーズで本という〈物語の器〉を前川さんと関さんがどのように考え、それを形にしていったのか、改めてうかがってみたいと思います。まずは関さんのアプローチをうかがわせてください。
関___本は制約の塊だと思うんですよ。紙という媒体を通じて物語や写真などいろいろな表現を伝えていくもの。最終的に読者が手に取るのは紙の塊ですよね。その紙の塊に、どれだけ著者の思いを込められるか。ストレートに伝えられるか。本作りで大切なところはそこだと思います。
 デザインを考える中で、何が間違いで何が正しいかという判断をどこかでしなくてはいけないんですが、それは主に自分が初めて読んだ原稿から得た感触から考えます。一般の読者の人たちと同じように面白がったり切なくなったり悲しくなったりを感じながら読むんですけど、それを原稿からどれだけくみ取って、いちばんいい形で読者に伝わるようにしていくにはどうしたらいいのか、を考えて。これはほかの装丁家もみなさんそういうふうに考えていると思うので取り立てて特別なことではないとは思うんですが。
 で、そのときにいろいろな道具がぼくらには与えられていると思うんですね。それはたとえば紙質や組版、印刷や加工。それらで何が伝わるのか、経験からのフィードバックからいちばん適正と思えるものを選ぶ。あるいは自分の中に見つからなければ探しながら作ったりします。そういうことの繰り返しで本の形を作っていきます。
丹治__関さんのデザインの仕事のなかで、最近は本の仕事がぐっと増えてきていますね。美術系の学校にいらっしゃって、そのころから本を作ることは目標のひとつだったんですか?
関___そうですね。本はもともと好きだったんですね。読むという行為が好きで、物語そのものに対する興味もあったんですけど、それ以上に造本に対する興味がありました。ぼくがデザイン科の学生だったころは80年代ですごく景気のいい時代だったので、凝った造本のものが書店にわーっと並んだ時期だったんですよ。〈もの〉として面白いものがたくさんあった。〈紙の束〉だと思っていたものが、それ自体がオブジェになるんだ、っていうような意識の変換がそのときに自分の中であったんだと思います。写真集などの印刷技術も飛躍的に上がっていった時期でもあったので、自分もこういうことができたらいいな、と思っていました。そのあと入った業界は広告業界だったのでちょっと違うことをずっとやっていたんですけどね。

| 本作りは材料が全部そろってから
| はじまるんじゃないんだっていうことを
| 初めて知りました。

丹治___前川さんは、今回は関さんとの本作りは3冊目ですよね。1冊目の作品集『VOMER』からのつきあいですから信頼関係はできていたと思いますが、『Zuhre』パート1のときはどんな感覚でしたか? はじめての文章で作品で、それを形にして人に手渡していく、その工程を関さんにまかせているわけですよね。
前川___そうだなあ。ぼくは作る側から本というものを見たことがなかったんですよね。今まで写真集を見てもおもしろい形の本を見ても、消費者として読者として、「ああこれおもしろい、きれいだ」っていう感想しかなかった。
 関くんは最初に原稿を読んで、像刻を撮影して、その過程すべてに関わっていきますよね。写真を撮っているときには、もうすでに紙質もページレイアウトもいれるタイミングも頭の中で選択している。その一枚の写真についての最良の選択をその瞬間にやっているわけで、そうか、これが本づくりか、と思ってすごくおもしろかったんです。
それにまず、本を作る中でこれほどたくさんの選択肢があるという発想がぼくにはなかった。そうか、紙ってこんなに選べるのかって思いました。そしてページをめくって大きな写真がきたときの気持ちの動きを考えたり、読み手側の心の動きを先読みして作っていくんだっていう、作り手としての目というものを関くんを通して初めて感じたんですよね。読者の気持ちの動きを考えながら、作り手としてはその裏をかいてやろうとか、そういうことをこの人は考えているんだな、って思って、手法をまねてみようと思った。まねてみるといっても気持ちでなぞるだけで、実際には何ひとつまねることはできないんだけど。そこは非常に新鮮でしたね。
 こういう光で撮ったらどういう写真になるかとか、印刷の色の掛け合わせのこととか、打ち合わせでは当然ぼくがわからない話も出てくる。 本作りの経験がないぼくの知らない選択肢もあるんだな、ということは当然として、本作りは全部そろってからはじまるものじゃないんだっていうことを初めて知りました。
 ぼくの物作りは画材屋からはじまるわけではなく、画材は自然からきている訳で、いつもそこへ立ち戻ろうとする。関くんのその姿勢には非常に共通項を感じました。そして、本が出来上がったときに、そこまで立ち返ってスタートしないと最終的にこの本は立ち上がってこないんだなっていうある説得力があると思いました。
何かを選び取るということは、ほかを全部捨てという意味でもあるわけで、このチームの本作りにはその重みをすごく感じるんだ。ページをめくると紙の匂いがして、しばらくすると紙のはじが焼けてきたりする。やっぱりものとしてのリアリティに重なってきて、ああそれも同じなのかと思いましたね。
 どこまで立ち返るかいうことは、すごく大事なスタンスのような気がするんです。

__第2回につづく

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