2013年1月15日
1月14日月曜日、せんだいメディアテークで開催されていた志賀理江子さんの写真展『螺旋海岸』の最終日に駆け込んだ。
仙台に向かう新幹線の途中から雪模様で、駅を出ると湿った雪がドカドカ降っていた。
『螺旋海岸』は圧倒的だった。
言葉なんて出てこない。ただただ、会場を歩き回るしかなかった。
そこにいる人みなが、巡礼の列のように思えた。
写真のなかの人も、見ている人も、みな。
生きているって、そうか、巡礼なのか。
昨日観た『スケット・オブ・ミャーク』の宮古島の神歌が天から降っていた。
宮城と宮古島。人が生きている。生きている。
展示のあまりの密度に全身の毛孔が開きっぱなしになる。
何度も息が止まりそうになり、叫び出しそうになり、泣き出しそうになった。
そのたびに表が見えるところまで息継ぎに出て、雪が舞うのを眺める。
「もう駄目だ」と思っても、振り返り、意を決してその豊穣の世界に入っていく。
そしてまた、「もう無理だ」と表に出る。
そのくりかえしでした。
そうやって見ている自分に身体があるのが不思議な感覚。
しまいには自分が何を見ているのか、どこにいるのかまったくわからなくなってしまった。
体験としか呼びようがない。
出掛ける前、仙台まで行くことにちょっと迷いがあったけれど、行けてよかった。
その帰り道、ちょっと不思議なことがあったので書き留めておきます。
メディアテークから乗ったタクシーの運転手さんと雪の話をしていたら、ぐるっとからだをねじるようにこちらを向いて、唐突に「お兄さん、魂って信じてる?」とこんな話をはじめました。
「ヒマラヤ登山の時に、シェルパ族の人たちに荷物を担いでもらうでしょう。ある時シェルパたちが一歩も動かなくなったんだって。どうした、ストライキか、賃金が足りないのか、と聞いたら『そうじゃない。私たちはあんまり急いで歩きすぎた。たましいが置いてきぼりになっているので、ここにたましいが着くまでのを待っているんだ』って言ったんだって。
お客さん、みんな気がついてきたんださ。これからはそういう時代なんだって。我々東北の人間は、地震も津波も原発も見たからさ、たましいが大事だって、気がついたんださ」
「そうですね。ほんとうにそうです」
今日はたましいの仕事をしにきたんですよ。口には出さなかったけれど、こころでそう答えました。
「お客さん、あれでしょう? 自分は満州からの引き上げで、子どものころからいろんなところで、いろんな人を見てきたからっしゃ。あたらずとも遠からずなんでないすか?」
不思議な会話でした。
そのあとは、ヘルマン・ヘッセとカミュの話になりました。
「いま必要なのは、『蟹工船』ではなくて、カミュの『ペスト』ださね〜。『ペスト』からは、うんと学ぶことがあるね」
メディアテークから兄が入院している五橋の市立病院までの、たった5分ほどの乗車時間です。
いま考えても、不思議な時間でした。