2012年7月2日
| カメラマンでも
| 製作者の目線でもなくて
| 登場人物の目線で見た世界
丹治__『Zuhre』で関さんは写真をピンホールカメラで撮っていますが、ピンホールを選んだ理由は?
関___今の前川さんの話で紙質の話がありましたけど、『Zuhre』の造本設計を考えていたときに〈像刻〉の写真を入れるのは必須条件だと思ったんです。では、どういう写真が望ましいのか、あるいは本当に写真であるべきなのか、と考えていったときに本文の紙質(OKアドニスラフ)が決まったようなところがありました。必ずしも〈像刻〉を克明に再現する必要はないんじゃないかと思ったんです。しかも挿絵もあるわけじゃないですか。表現として挿絵もあって写真もある。それがぶつかりあってもいけないし、っていうところで、写真が挿絵の延長線上にあるようにならないかなって思ったんですね。そのときに写真の情報量って邪魔だなと思って、もっと曖昧な表現ができないかと考えた。ストーリーの中にいる人が見た視線で写真が撮れないかなっていうふうに思ったんですね。
前川__ああー、なるほど。
関___それはもう写真ではなくて、挿絵と同じ。挿絵の延長線上になると思ったんですよね。
丹治__ストーリーの中にいる人の目線?
関___中にいる人の。あるいは……。
前川__読んでいる人?
関___そう。カメラマンの目線でもなくて製作者の目線でもなくて登場人物の目線になれないかなって思ったときに、曖昧な表現というのがうまくリンクした。その世界の人たちが記録したというより、網膜に写った残像かもしれない。それくらいのものができないかな、っていうところで曖昧を表現するための選択肢としてピンホールカメラはどうだろうと考えたんです。
前川__おもしろい。〈像刻〉の背景の物語としてのリアリティを増すためには、木の像ではなくて、そこに描かれている実態じゃないといけない。写したいのは別の現象なんですよね。そこを形にするのには、たしかにピンホールカメラの曖昧さって有効かもしれない。
関___だからあまりピンホールの手法が先に立ってもいけないな、っていうのもありました。それ以前にあのざら紙だし。印刷は2色使っていますが、それは再現性を増すための選択ではなくて、物語のなかの照明というか光を再現するためのもう1色と考えていました。だからそういう写真の作り方がいいと思ったんです。
もうひとつ選択肢として日光写真というのがあったんですけど、技術的に印画紙を作るのが難しいし経験値が浅いので、ちょっと難しいかなと思いました。
前川__ピンホールだけでもあんなふうにできるんだっていう驚きがありましたね。ほどよいぼけかたで。〈はがゆさ〉を残したまま(笑)。
関___そうなんですよねー。
前川__ぼくの物語は語り伝えだと思っているから、その〈はがゆい感じ〉が、確かに物語を体験した作中人物がそれを話でしか人に伝えられないという〈はがゆさ〉にリンクしているところがあると思います。体験を人に伝えるときに、言葉にしていくことの不自由さね。それは似通っている部分じゃないかな。
| ばらばらになっている
| 草の根っこを一本捕まえて
| その根っこを集めて、ひとつの話を作る
丹治__実際物語の本を作って、前川さんの中で気持ちが動いたこと、創作意欲が沸いたこと、作家として本の形に触発された部分はありますか?
前川__ひとことに納めるということはほかのものを切り捨ててしまうということだから、その不自由さを感じていますね。言葉を切り捨てることでひとつの言葉を選び取ったというのは、ばらばらになっている草の根っこを一本捕まえたっていうことだと思うんですよ。その草の根っこを集めて、ひとつのお話にした。そこには原っぱじゃなくて花壇ができた安心感があるんですよね。原っぱは非常に無造作に見えるし自由なんだけども、その大きさや有りようを人に伝えることは非常に難しい。
同じ植物がはえていても、花壇やガーデンというものは人の秩序がそこに加わっているから、自然と人の秩序がコラボレートしたある安心感があるんです。それが本というものなんじゃないかな。まあ〈像刻〉もそれに非常に近いものなんですけど。言葉というばらばらなものを結わえてまとめて、しかもただ言葉が情報として目の前を通り過ぎるんじゃなくて、本という形を物体として成している。印刷された文字、紙。とりあえずここからは流出しないっていう安心感があると思います。溶け出していくわけじゃない。花壇でいうならとりあえず囲いができて土は作った。で、読んだ人がそこで育ててくれればいいんであってね。それもない状態は非常に不安定ですよね。途中だし人には言えないっていう、はがゆさのままで、来年はどうなっているかわからない、この野っぱらがあるかわからない感じ(笑)。
丹治__関さんには先ほど、本作りの一般論として話していただきました。原稿があってそれにふさわしい形を探していくということ。前川さんの〈像刻〉の世界もよく知っていて、〈像刻〉を収めた『VOMER』という作品集も一冊作っている。 今回はさらに踏み込んで、 その先の物語の本を、今の話で言うと花壇を作ることになった。この物語だからこういう試みをしてみようか、というような具体的なお話を聞かせて下さい。
関___雑談のなかで、前川さんが「ベッドで片手で読みたいんだよね」って言ったんですよね。
前川__言ったね。そうそう、言ったねー(笑)。
関___それって、自分が物語に集中するベストの場所じゃないかと共感できたんですよ。ひょっとして人によってはその場所はお手洗いかもしれないけど(笑)。ベッドで片手で読んで疲れない重さであるとか……。
前川__めくりやすさね。
関___めくりやすさとか、閉じちゃわないとかね。そういう近さで物語を読んでほしいんだなって思ったし、自分もそういう近さで読みたいなって思ったんです。
前川__うん。同じ話を何度もくり返し読んで、折り跡がつくくらいくり返し読んで、もうなにもかも知っているのに、それを読むとコトッと寝ちゃうとか。
一同__笑
前川__そういう距離にあってほしいと思います。
関___で、それが夢に出てきたりするということもあるでしょうし。
前川__そうそう。そういうツールですよね。
関___ね。親しみのあるところにあってほしいと本に対して思っているのが、前川さんとのお付き合いの中でわかった。そして、あ、ぼくもそう思うっていうところもたくさんあったんですね。
前川__本に対しての共感の部分ね。しかも寝るときに裏返して置いても、また閉じても跡がつかなかったり、ぱっと裏返しておいて次の日またそこから読んでもいい。
丹治__この製本は裏返ししやすいですよね?
前川__多少乱暴なんだけどそういうのもいいかなと思う。
丹治__表紙は板紙だから、折れないし。
前川__そうそう。
関___朝起きたらめちゃめちゃになっていてがっくり、っていう残念なことにならない。
前川__そうなんだよね。それに板紙ってめくる楽しさがありますね。ばたっと閉じるし。
____第3回につづく
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