草日誌

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2012年9月23日

益子・土祭にて

益子の土祭(ひじさい)に来ています。

なにか大切な時間に立ち会っている。
益子に入って最初に綱神社に立った瞬間からそう感じています。
そして自分はその「何か」のお客さんではなくて、
確かに当事者の一部に違いない。
そう思わせてくれるのは益子の懐の深さ故のことでしょうか。
それとも何か別の理由があるのでしょうか。
いまはまだ言葉にならない感覚に包まれています。

夕方、スターネットで馬場さんとゆっくり話すことができました。
馬場さんと会話していると、自然に呼吸が深くなっています。
そして、ゆっくりと話していることに気がつきます。
こういうことも、10年かけて馬場さんに教えていただいたこと。

日本において宗教は、暮らしそのものだった。
暮らしの中の行為そのものが祈りだった。
……民藝と宗教のことから、話ははじまりました。

料理も掃除も洗濯も、
窓を開けて風を通すことも
草花をいけることも、
唄うことも舞うことも、
ひとつひとつが祈りだった。

暮らしをきれいに整えていくことが、
いつしか消費するという経済活動と限りなく近づいてしまった。
そこから離れて、暮らしの行為ひとつひとつをもういちど祈りに戻していくこと。
それは、まだ可能なのではないだろうか。
まだ、ではなく、いまだから可能なのではないか。
お話をしながら、そんなことを考えていました。

日が暮れて、山崎さんのパーティにおよばれ。
山崎さんの野菜と、小島さんのお米と、高田さんの卵。
それはそれはおいしいごはんでした。
久しぶりに、ごはんを噛みしめながら涙がこぼれました。
食べるって、こういうことなんですよね。

日中、時に強く雨が降っていましたが、夜半、月と星が見えてきました。
明日は晴れるかな。

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