草日誌

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2011年10月12日

ロルフィングで感じたこと
session 8

今日は2時間半ほどの睡眠時間。見えていないけれど、空のどこかには満月があるはずだ。

眠ってしまうかもしれないなあ、と思いながらのセッション8回目。
前回のあと「早いものであと3回ですね。まとめさせて頂きます」とのお話しがあったとおり、今回は足の方からのまとめ。

右膝をたてて、左足をぶらんと伸ばして仰向けになる。
腹と胸にほぼ同時に手が触れられて、スタート。
時折、鼠蹊部がすすっと動いていく。ゆるんで開放されるような方向。
触れるか触れないかだった左手が、明らかにある意志を持って肋骨のあいだに力を加える。
そこでさらに鼠蹊部が開く。
「鼠蹊部を感じながら、この下にある肝臓を意識してみてください」
「肝臓の重さを感じる、ということですか?」
「そうそう」
触れられた肝臓のあたり、肋骨の少し背中寄りの内側に、引っ掻いたような軽い痛みを感じる。
二回、三回。
前回、前々回と続けて、からだに動きが生まれた。
どうしてもそれを期待してしまうけれど、今のところそれが生じる様子はない。
今回のセッションは、目的というか方向が違うのかもしれない。

と、気持ち悪さを、少し感じている。
吐きそう。
実際に吐きたいわけではなくて、以前(子どもの頃)に吐いたときの感触を思い出しているようだ。
薬を飲んで、その影響で内臓が苦しがっているときの感じ。
というか、子どもの頃に感じていた気持ち悪さの正体を、いま知った。そうか、内臓の違和感だったのか。
具体的には、肝臓のあたりから何かがせり上がってくる感覚。
それに連動して顎の内側から喉、食道がひとつながりに引っ張られている。
それが「吐きたい」気持ちとして感じられている。
肝臓がじっとりと動いている感触がある。

「目は開いていてください」
と言われる。
そういえば、ついつい目を閉じてしまっていた。

吐き気が少し収まってくるのに続いて、ぶらんとさせている左足に動きが生じる。
微細な腰のうねりからはじまる。
左の腰がぐっと持ち上がり、もとのところに収まる。
目を開いていることで、いやでも意識ははっきりし続ける。
はっきり目覚めていながらも、からだは動くことを止めない。
前々回、動きに意識を向けると消えてしまいそうに感じた、見失ってしまいそうに感じたからだの内側からのごく小さな動きを、今回ははっきりと感じ続けている。
それが徐々に大きさを増していく。
びくん、びくん、という小さな脈動から波のようなうねりにかわり、
引き攣られ、最後には明らかなひねりに変わった。
そして収束。
前回と同じように、波が去ったことがわかる。
もう少し言えば、からだを奥底から動かしていたエネルギーが、もうそこにはなくなっているのがわかる。

左右の足を換えて、同じように。
触れられている左の腹部を起点に、喉仏を中心にして、顔の左上にかけてがひとつながりで影響されているのを感じる。
ドラムの革を張るときに、対角線で締めていくことをイメージしている。

左の上まぶたが腫れぼったく感じる。
頭部の水分が右上部に集まってきているよう。
そのうち、頭部の中を何かがゆっくり動いているのを感じはじめている。
筋肉? 骨? 筋? 
頭骨の中をとてもねっとりとした重い液体が、ゆっくりと動いている。
喉から食道にかけての内圧が上がっている。
喉の中が腫れているような感覚。
その液体に意識を持っていこうとした時に、
「どんな色ですか?」
と聞かれる。
まさに、そのことを思っていた。
「色は……血液なのかな? でも、赤と言うよりは黒い……」
コールタールのよう、と言おうとしたけれど、そのことばがとっさに出なかった。

さっきと同じように、せり上がるような「吐きたい」感触も若干ある。
足が動きはじめる。
右側の時と対称に動きそうなものだけれど、違っている。
同じところからはじめるのではなくて、右足で到達したところから、左足が引き継いでいるのかもしれない。
動きははじめから大きい。
ぐん、ぐん、と骨盤が動く。
左の鼠蹊部と腸骨が連動して動いている。
右足が根元から(つまり鼠蹊部から)下に伸びていく。
その動きが、背骨を昇って後頭部まで昇っていく。
前回、前々回の動きと近い動きだが、
今回はからだのかなり深い部分が動いているようだ。
腰椎の周辺の筋肉(これが大腰筋なのか?)が、ぎゅうぎゅう軋みながら動いていく。
頭部の内圧が変わった。
内耳にかかる圧力が変わり、聞こえてくる音の密度が変わる。
左の鼻が、すーっと通る。
頭部に意識がいっているあいだにも、脊柱の動きは止まらない。
「からだは、何か目的があって動いているんですよね?」
「途中で終わっていた動きを完結させるような場合もありますね」
「途中で……どんな動きなんだろう」
「もしくは発散し切れていないエネルギーをディスチャージするような」
「なるほど」
そんな会話を交わしながら、からだの動きを観察している。
左足を軸にしたひねりの動きはますます大きくなる。
「これ、かなり疲れますね」
実際、からだの深い部分がぎゅうぎゅういっているので、けっこう疲れるのだ。
疲れるけれど、からだはやめない。
と、思い出した。
この深い筋肉の動きは、経験したことがある。
やり場のない怒り、いらだちを抑えようとするときに、
拳を握りしめ、両足を踏ん張ったりする。
握った手がぶるぶると震え、それでも足りなくて太ももを叩いたりする。
そういったときにからだの深部で起こっている筋肉の動きだ。
「そんな感じなんです」
「ああ、何かを蹴飛ばしたりするようなときですね」
「蹴飛ばせればいいけれど、そうもいかない時、からだ全体で怒りのエネルギーを封じ込めている時の感じです」
肝臓からはじまった今日の動きが、腰回りの深い筋肉に働きかけている。
怒りのエネルギー。
知識として知っていることを、自分のからだを使って、しかもかなり客観的な状態で観察している。
長生きするものだなあ、なんて思って、自然に笑顔になっている。

口、顔にも小さな動きが生まれている。唇の先が、震えている。
頭部のパーツが、居心地のいい場所を探してさまよいはじめているような雰囲気。

腰からのうねりは、頸椎の三番目あたりに響いている。
その響きに応じるように、徐々にうねりがのぼりはじめた。
腰椎の周辺にグルグルと巻き付きながら、からだの深いところをのぼってくる。
「これはあれですね、猫が毛玉を吐くような感覚ですね」
口から出た比喩はそんな猫のイメージだが、実際にからだの中で起こっているのはもっと激しいエネルギーの流れだ。
前回の最後に訪れた丹田からみぞおちへの痙攣を何度か伴って、それでも今回は終わらない。
もっと上まで昇ってくる。
食道をつたって、筋肉のこわばりが昇ってくる。
ドーナツ状のこわばりが、少しずつ移動してくる。
まさか本当に毛玉を吐く訳もなかろうけれど、
いったいこれはどこに行くのだろう? 
後頭部が引かれて、顎があがる。
開いている目には、天井が大きく映っている。
視界がぐんぐん明るくなる。
喉が開いて、昇ってきたこわばりが顎の骨のところで引っかかっている。
丹田から食道、喉の痙攣状の波が10数回も訪れて、気がつくと上昇するエネルギーは消えかかっている。
何度か余波のような大きなうねりが来て、去って、静かになった。
顎のところで引っかかっていたこわばりはどこに消えたのだろう?
感触としては、後頭部に抜けていったようだ。

余韻を感じながら、天井を見ている。
メガネを外しているので解像度の変化はよく分からないけれど、視界は明らかに広くなったようだ。
目から入ってくる情報量が増えている。
レンズが明るくなったような感じ。
暗い穴倉から表に出てきたら、こんな風に感じるのかも知れない。
視界は広がって、逆に眼球は今までよりもずいぶん深いところにあって、そこから静かに世界を見ているように感じる。
視覚と連動して時間感覚も変化したのだろうか。
ひとつひとつをじっくりと見ているのかもしれなし。

上体を起こして、ベッドに腰掛ける。
胸から頭頂部までが、すっと起きる。
一体化しているように、ぶれがない。
立ち上がってみると、目の位置が高くなったようにも感じる。
ほんの数ミリの違いなのだろうけれど、明らかに視界が広がっている。

立って歩いてのセッション前後の変化は、8回目の今回が一番大きく感じた。

セッション前後の写真を見る。
明らかに首の付き方がかわっている。

今回のセッションは、反応している範囲が広く、言葉で追いかけ記録することのぎりぎりを感じました。セッション中、もっともっと言葉を通してその都度の実感を田畑さんに伝えていたのだが、終わってみると何を話していたのかほとんど思い出せない。
それでも覚えているのは、首から上の部位の、広大さ。
喉、とか、頸とかひとことで言っているけれど、思っているよりももっと奥行きがあるし、場所によって密度もずいぶん違う。そういう細かな差を感じるようになって、からだを広く感じはじめているのだろう。

残すところ、あと2回。
からだはもっと開いていくのだろう。

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