草日誌

草日誌

2011年10月5日

ロルフィングで感じたこと
session 7

朝から雨の日。
前回の仙骨を開放するセッションの余韻がまだ残る中の、
7回目。

足から徐々に昇ってきた(組み立て直してきた?)セッションですが、いよいよ首から上に移っていきます。
「今日は口と鼻へのアプローチです」と説明を受ける。
「ああ、残念。昨日の朝からくしゃみと鼻水が止まらなくて、いまはおさまっているけれど、鼻が詰まり気味なんですよね」
というと
「それが逆にいいかもしれないし。やってみないとわかりませんよ」
といわれる。

仰向けの姿勢でベッドに。
膝の下とかかとが当たる部分にクッションがおいてある。
寝てみると、そのクッションのおかげでちょっと浮遊感がある。
首の位置を慎重に決めて、セッション開始。
口と鼻へ、といわれたが、接触は腕、脚から。
あいかわらず微細なタッチ。この段階では何が行われているのかは分からない。
今回は最初からイメージが閉じたまぶたの裏に浮かぶ。
前回はイメージはほとんど浮かばなかったけれど。
セッションの影響なのか、自分のコンディションなのか。
寒い地方の女の子。
家出のような形で家を飛び出して数年たったが、親と和解して家に戻る。
どんよりと重い雲が垂れ込める空を見上げながら、戻って来た実感を少しずつ噛みしめている。
故郷にいるしみじみとした喜び。親の小言をうるさく思いながら、以前ほど気にならなくなっている自分を感じている。変化していることと、変わらないことの差。
そんなイメージ。

今日はいつもにも増して、田畑さん(ロルファー)の手の温かさを感じている。
この手は、自分で温度を調節しているのだろうか。
掌自身が温度や重さなどをその都度必要に応じて変化させているように思える。
つまり、掌が独立した生きもののようだ。
そんなことを感じている。

まぶたのスクリーンには、幾重にも積み重なる色とりどりの帯が見えている。
ペールトーンの微妙な色合いが美しい。
さまざまな幅の光の帯が、左右に、それぞれの早さでゆっくり動いている。
それがいまからだに起こっていることのイメージ。
腰、おなか、胸、それぞれがそれぞれの色で、それぞれの速度で動いている。

頬に手が触れられる。
このあたりで、右の鼻はすっかり通っている。

そして、口へのアプローチに移行。
指を口腔内に入れて、上あごの内側へのアプローチ。
え? 口に指入れるんだ。
あわわ、とちょっとだけ慌てる。
口を大きく開けて、指が入り、力を抜くと軽く指に歯が当たってしまう。
これでいいのだろうか?
「この骨の重さを感じて」
といわれるが、どうなんだろう。
うまく感じられない。
手がはずされて、
「どんな感じですか?」と聞かれるが、
「面白いですね。でも、よくわからない」
としか答えられない。
いや、左に比べて右の口腔がすこし広がっている感じがする。
「右と左の骨の接合部を開いたのですか?」
と聞く。
「触っているのは上顎骨です」
との答え。
アプローチはそのまま左の上、右の下、左の下、と続く。

顎、顔は、意識との連動が強いのだろうか。
からだのほかの部位と比べると、意識との分離が難しいと感じる。
意識と物理的に近い、というか。
「骨の重さを感じて」といわれて、まずその重さを感じるのが難しかった。
が、程なくそれは出来るようになった。
しかし今度は、その重さに「からだを預ける」ことがなかなか出来なかった。
腕や脚であれば、意識をそこに向けると自然に出来ることが(セッション3)、顔、口、顎だとなかなかそうできない。
それでも、進行するにしたがって、徐々にではあるけれど、その重さ=力みから解放されていくのを実感する。

左の下顎が終わったところで、顎とのどの奥に、小さな震えが生まれる。
舌の付け根のあたりだろうか?
前回起こったのと同じようなかすかな振動。
カタカタいうほどではないけれど、顎がかすかに上下する動き。かみ合わすうごきが自然に起こってくる。
その動き、振動が顎の奥、舌の付け根から徐々に首の後ろをのぼって後頭部に向かっていく。
顔はパーツが細かいのだろうか。
前回はもっと大まかな動きだったように思うけれど、今回は細かく細かく、何かを調整しながら振動が移動していくように感じる。
頭部の深いところを、かすかな振動が移動して、何かが静かに進行していく感覚を味わっている。
後頭部までのぼりきってしばらくすると、
いつの間にかその振動の種は仙骨に下りている。
と、
右脚がぐーっと引っ張られる。
伸びている、という自発的な動きではなく、
引っ張られる、という外からの力を感じる。
からだの左右でかかっている重力が違うように、
右脚だけが沼の底に、
沼の底の生暖かい泥の中に引きずり込まれるように、
ぐぐぐぐーっと引かれている。
けっして激しくはないけれど、確固とした意志と確信をもった動き。
誰の?
今、この動きの主体は少なくとも自分の意識の中にはない。
からだが自発的に動いている。
しかも自分のからだの外からの力を使って動いているように感じる。

右脚が引かれるのと連動して、左の骨盤は持ち上がる。
からだがまるで雑巾のように絞られる。絞られる。
まだこの段階では、体の動きはほとんど目視出来ない程度なのかも知れない。

右脚が引かれる動きがおさまると、次は左の腰に動きの主体が移動している。
左の骨盤が、くいっくいっと、あがる。
それに伴って、右脚は下に伸びる。
右脚が下がり、左腰が上がる。
外から見た動きの形は前と同じだけれど、
動きの主体が移動しているので、軸も移っている。
かかとを持たれてぐーっと引っ張られていた動きが、骨盤を軸としたひねりの動きに変わっている。
そのひねりの動きが少しずつ大きくなっていく。
腰が大きく動きはじめ、それに連動して胸、頸も動く。
しかし後頭部は、ピンで固定されたように動かない。
そこを軸にして、基点にして、仙骨、骨盤、腰椎、脊椎、胸骨、鎖骨、頸椎がそれぞれポイントになってぐぐぐーっと動く。それぞれが動いて、何かを調整しようとしている。
痙攣、引きつり、という神経質な動きではなくて、もっとじっくりとした動き。
さっき右脚に感じていたのと同じような意志と確信をもった動きだ。
左の骨盤からの動きは、よく観察すると回転運動、スパイラル状の動きに育っている。
左腰に生まれた動きは、
下方向では右脚に抜けていき、
上方向では左回りに体の背面にもぐり込んで胸の上に抜け、そのまま頸の後ろに回りこんで頭頂部へと抜けていく。
キャンディの包み紙のように足先と頭頂部で絞られるような感覚。

そんな波が何度か通り過ぎると、今度はその動きはからだの表側に移動してきた。
丹田からみぞおちにかけて、ぐぐぐーっと収縮する。
ぐぐぐーっと収束して、ふとゆるまる。
その間隔が短くなって、ぐぐぐぐぐぐと連続した収縮になる。
よく咳が止まらないときに、お腹の深いところから咳が連続してわき起こり、
からだを折りたたむようになることがあるが、
それが「咳抜き」で起こっている感じ。
不思議と恐怖感はない。
その波が三回ほど繰り返して訪れ、収まる。
「どうですか?」
と聞かれて
「今ので終わりました」
と自然に答えている。
どうして終わったと思ったのか、理由は分からない。
でも、さっきからからだに起こっていた波、エネルギーの流れがすでに去っている。今回の動きはすでに終わり、もう戻ってこないことを、自分は知っている。
そして、実際に終わっていた。

静かにからだをおこす。
その瞬間、お腹の中で内臓がぐるっとまわって収まり直した感覚があった。

背骨を感じてみる。
風通しがいい。
背骨を爽やかな春風がやわらかく吹き抜けていく感覚。
頭頂部が、以前よりも3センチほど後ろに移動したように感じる。
顎が引けているのだろう。

立って歩いてみる。
頭頂部の感覚はやはりそのまま、後ろに移動している。
肩から上がすっと整理されて、気持ちよく載っかっている。
仙骨から頭のてっぺんまでが、ひゅんと一本に通っている。
歩いていると、ああ、気持ちいい。

「鼻へのアプローチは、また今度」
そうだ、と思い出した。
今日は鼻のアプローチも予定されていたんだ。
でも今はもうこれで充分です。

小児ぜんそく出身の僕は、呼吸がずっとテーマだった。
胸、のど、鼻、呼吸。
物理的にも精神的にも、そこに関わるストレスを長いこと抱えてきたのだろう。
そして、のど、声。
瞑想をしても、最後までのどの鍵がはずせない。
その鍵がはずせる日がくるのだろうか。

Facebook Twitter google+ はてなブックマーク LINE
← 前の記事柏木江里子さんの
『いちにち いちにち』
次の記事 →ロルフィングで感じたこと
session 8

関連記事