2011年9月2日
ロルフィングセッション3回目
今回も、あくまで自分の体感、感触を書きます。
今日はからだの側面へのアプローチ。
右側を下にして、右足は真っ直ぐ下に、左足を前にして。いまだに何がなされているのかは分からないので(たぶんこれは最後まで分からないと思う)、からだの反応とその時思ったことなどを。
「からだの右側に重さを感じて」と言われる。
そのようにしてみると、「そうそう」と言われる。
「腕の重さを手首のあたりに下ろして」と言われる。
そのようにしてみると、「そうそう」と言われる。
自分としてはからだをそのように動かしている訳ではなく、
あくまで「そのように」してみるだけ。
つまり意識をそのように向けるだけ。
それでも、「そうそう」と言われる。
思わず
「そうそう、とおっしゃる時には、なにかからだが反応しているのですか?」
と聞いてしまう。
「そうです。主には力が抜けて広がるような感じ、とかですが。からだの反応があります」
とのこと。
そうなのか。
自分ではそういうからだの反応が起こっていることにはまだ気づけない。
大腿骨のあたりを触れられているときに、肺の底の方からかすかに「ぜーぜー」と喘鳴がする。
5回、いや7回くらいかな。いま現在はまったく症状がないので、少し驚く。驚きながらも、「あ、そういうことか」と客観的に見て納得している自分がいる。
手の甲、人差し指の付け根のあたりを触られた時に、そこを起点にしてからだの表面の皮膚がぐぐーっと引っ張られるような感触。などなど。
左右の体(たい)を変えて、終了。
今日のおさらいに、その場で少し歩いたり、膝を曲げて腰を落としたり。自分は足首、手首、首の緊張が抜けにくいことに気づく(あ、全部「首」ですね)。
写真をとっていただく。
1回目から明らかにからだのラインは変化している。
前回も今回も、はじめる前の写真では右の腰のあたり(肋骨の一番下と骨盤の上部のあいだのあたり)が、あきらかに「もやもやっ」としている。
その「もやもや」が終了時にはすっきりしているのがビジュアルとしてわかる。
ビジュアルとして分かりやすい変化なのに、身体感覚としてはほとんど意識できない。こうやって絵として見ると、まだからだが「遠い」。このあたりのギャップも面白いと思う。
セッションが進むと、からだの感性が開かれていくのだろうか。からだの微細な反応を「近くに」感じるようになるのだろうか。その変化を楽しみに待とうと思う。
呼吸は、あいかわらず胸郭をうまく使えていない感覚がある。そう伝えると、「そうですね、そのあたりは少し『お休みしている』感じがありますね」と。きっと見ていて「じゅうぶんに使えていない」様子、「さみしい」感じに見えているんだろうな、と思う。自分の胸が不憫になる。
今回はからだの側面へのアプローチ。
「今回は、オレオのクッキーをぐーっと拡げた感覚です。次回はなかのクリームを拡げます」
だそうです。
オレオか。分かりやすい。たしかに輸送中にぎゅっと圧力がかかってしまったオレオのあいだが、少し開いてからだ大きくなった感覚はある。
次回も楽しみです。
この「a day」に書くことについてもお聞きしました。
「たぶん、見当外れな感想を書いているんだと思うのですが」と言うと、
「ロルフィングは一般化できない世界のことなので、いろいろな人がそれぞれの感じ方を記録するのはとてもいいことです」とのことです。
なので、安心して書かせていただきます。
お世話になっている先生は田畑浩良さんです。
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