草日誌

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2011年9月3日

気持ちのいい仕事場について

9月1日、fogさんの新しい場所におじゃまして、それから気持ちのいい場所のことについて考えていました。
そして以前、廣瀬裕子さんの本のために書いた短い文章のことを思い出しました。探してみたらハードディスクの底の方にデータが残っていました。検索機能ってすばらしい。『Latte』という廣瀬さん編集のMOOKに収録された文章です。(その後このMOOKは廣瀬さん以外の人の文章をはずした形で再編集して『気持ちよくを探して』として発行されています。)
アノニマ・スタジオはまだ動き出したばかりの2004年に書いた文章です。読んでいるとスタートのころの新鮮な気持ちを思い出します。
あそこは日当たりがよくて風が抜ける、本当に気持ちのいい場所でした。青山の丘陵のはしっこ、いわゆる岬の突端のような場所(アースダイバー!)。小さなマンションの1階でしたが、窓の向こうはすとんと落っこちる斜面で、その下には児童公園がありました。北向きの暗い玄関をから部屋に入ると南側に開けた窓からは、おしみないくらいたっぷりの光。事務所設立のハガキには「まだ何もない事務所です/風通しと陽当たりだけが財産です」と書きました。そんな場所についてのテキストです。

『するすると。……気持ちのいい仕事場について』

窓から見える公園には、大きな欅の木が二本、気持ちよく寄り添って枝を伸ばしています。秋のはじめ、この事務所に超してきたときはまだ葉っぱがわきわきと繁っていました。冬になって葉が落ちはじめると、箒を逆さにしたような枝の間から六本木ヒルズや東京タワーが姿を現しました。そのころになってやっと机や椅子やコンピュータが入って、少しずつ仕事場らしくなってきました。
昨年の夏ころから、事務所に使う物件を探しはじめました。たくさんの人が出入りする出版の仕事だから、交通の便やある程度の広さは欲しいけれど、もちろん予算もあるので贅沢はいえません。ゲラを広げられるだけの作業机、少しの在庫や資料は仕舞っておける納戸はほしい。でも、応接セットはいらないし、だいたいソファーがあるとそこで寝てしまいそう。お料理の本も作るから、台所はちゃんと使えるようにしよう。そんなこと考えているうちに頭に浮かんだのが、ふたつの建物でした。
ひとつは詩人であり建築家でもあった立原道造が自分のために設計した「ヒアシンスハウス」。片流れの屋根が美しい建物です。南に開いた窓にそってカウンターのように机が伸び、その反対側の壁には寝台が据え付けてある。ふたつの壁のあいだの行ったり来たりだけですべてがすんでしまう、小さいけれど必要なものはすべて揃っているような建物。もうひとつは佐藤さとるさんの絵本『大きなきがほしい』に登場する、かおる君の樹上の家。マテバシイという団栗のなる大きな木の幹にはしごを掛け、枝に梁を渡して作った家です。木の幹にあいたうろには小さな妹を引き上げるための手動のエレベータまで完備され(!)、プロパンガスもあるのでホットケーキも焼けます。秋には落ち葉がたくさん舞い込み、カケスも遊びにやって来ます。
どちらも小さなスペースに必要なものが無駄なく配置された、愛らしい「居場所」。建物というよりは小屋といった方がしっくりくる簡素な作りです。

陽があたり、風がながれていること。

結局ぼくが仕事場に求めたものは、そのふたつだけでした。仕事場はいろいろなものとじっくり向き合う場所なのだから、余計な調度はなくてよくて、少しぐらい素っ気ないくらいがいい。でも、オフィスビルの無味乾燥はだめです。時間と季節の移ろいはちゃんと感じられる場所であって欲しい。空気や水に淀みがないのが気持ちよいように、仕事場もきっと淀みない方がいいに決まっています。
暑い日には窓を開け放して風を通し、夕方、日が陰ると肌寒さにあわててお湯を沸かす。ぼくにとって仕事場は「小さな生活の場」にほかなりません。一日の大半をその場所で過ごすのだから、「気持ちよい」ことはあきらめたくありません。風も光も人の気持ちも、滞ることなくするすると流れてゆく場所。そんな仕事場だったらいいなと思います。

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