2011年8月26日
21日は東北本線塩竈駅のすぐ前の「ふれあいエスプ塩竈」を南陀楼綾繁さんと訪ねました。ここはフォトフェスティバルの実行委員でもある渡辺誠一郎さんがこころを尽くして作り育てた文化施設です。図書館とホール、創作室、学習室などを兼ね備え、漫画誌『月刊ガロ』の初代編集長・長井勝一氏の仕事を集めた「長井勝一漫画美術館」も併設されています。雨の日曜日、10時の開館を待っていた利用客が静かに本を読んだりコンピュータで調べものをしたりしています。小さいながらも市民に愛されていることが伝わってきます。
ここは「塩竈フォトフェスティバル」のメイン会場になっており、「一箱本送り隊」の企画イベントはフォトフェスにこの会場を融通していただいての開催になります。隣接する公民館との間を埋めるように「空中庭園」と名付けられた空間が広がり、雨が降らなければここで「一箱古本市」を開くことになりました。 エスプの松本さんには実際的なアドバイス(市民の動向、市内の駐車場状況などなど)を多くいただきました。これからますますお世話になります。よろしくお願いします。
打ち合わせの後、車で石巻に向かいました。30年来の知人である医師の中嶋裕人さんを訪ねるためです。以前はずいぶん遊んでもらっていましたが、最後に会ってからもう10年以上は経っています。指定されたショッピングセンターの駐車場で待っていると、遠くから歩いてくる少し猫背な姿が見えます。手を振ると、開口一番「おお、史(ふみ)ちゃん、大きくなったなあ、つうか髪の毛ずいぶん白くなったなあ」と。そりゃそうです、もうぼくも中学生ではなくて40半ばですから。
しばし近況報告ののち、「じゃあ、行ってみるか」との言葉に後押しされて、津波の被害が非常に大きいと言われる南浜町に車を走らせました。石巻まで来たのは、もちろん被災の状況をきちんと見ておこうと思ったからです。「一箱本送り隊」の活動のためにも、という言い訳も用意しながら、とにかく見ておきたかった。
石巻までは実は5月に一度来ています。お世話になっている日本製紙石巻工場の状況を確認するためでした。工場に、これまでのお礼の気持ちと「みんな復活をまっているよ」というメッセージを伝えるためでした。その日本製紙を北上川の河口方面に回りこめば南浜町です。知ってはいましたが、その時はどうしても車をそちらに向けて走らせることができなかった。この目で見るのが怖かったのです。
その南浜町に、立ちました。
目の前には、津波の後に火災にみまわれ数日間燃え続けたという門脇小学校の姿があります。津波に流された市街地には雑草が茂っていました。中嶋さんが、患者さんや知人たちの信じられないような生還譚を話してくれました。ある人は部屋のドアが濁流で破られて、次に気がついたときには数百メートル離れたこの小学校のプールに浮かんでいたそうです。校舎が火災の炎に包まれたのは、慌てて日和山に上った直後だったと。
問わず語りのあとにぽつりと、「でもさ、生きて戻って来た人の話しか、俺たちは知れないんだよな」と言った中嶋さんのひとことが耳に残っています。
津波が押し寄せ、堤防と川との境目すら分からない橋には、内陸部の人たちが数時間かけて歩いて集まってきていた。徒歩では渡れない橋のたもとで、人々は橋の向こうから家族が、知人が戻ってくるのを待っていたといいます。
もうひとつ、中嶋さんの話で印象に残ったことがあります。
震災直後、情報もライフラインも途切れ行政はまったく機能しない状況で、地元のスーパーが無料、もしくはかなり安価で食料品を出していたそうです。
市民は何時間もかけて歩いてその店に行き、整然と並んで順番を待ったそうです。行列する間に新しい情報が口コミで飛び交う。停電している店内は真っ暗で、ヘッドライトをつけた店員の案内で、必要な品を捜し、受け取った。「一人三品まで」というローカルルールに誰もが従い、口コミの情報で日々の糧を得、融通し合い、人の命を救った。
それは言ってみればアナーキズムの世界だった。
「数日間だったかもしれないけれど、アナーキズムの世界がそこに現出していたんだよな。政府にも行政にも見放された、いわば棄民であった俺たちここらの住民たちはさ、みんな生き抜いたんだよ。」
無秩序/無政府ではなく、市民の意識による、秩序ある、貨幣と政府に頼らない世界だった。暴動は起きなかった。社会の成熟の予感がそこにはあったと中嶋さんは言います。極限の状態だからこそ見えた、小さな、力強い光だったのでしょう。
仙台に戻り、南陀楼さんと9月19日に開催される荒井良二さんの「ふらっぐしっぷ」の会場「せんだい演劇工房10-BOX」の下見をして、今回の予定はすべて終了。
仙台駅まで南陀楼さんを送り届け、ふと熱いコーヒーが飲みたくなりました。
広瀬通一番町の「カフェ・モーツァルト」は、高校生の頃から通っている店です。多少の内装は変わっていますが、店の空気感はまったく変わっていません。ブレンドコーヒーとマスカルポーネチーズのロールケーキのセット。隣の席の女の子たちは、こんど食べに行くイタリアンのメニューについて話し合っています。店の厨房から、スタッフが小さく笑いあう声が漏れ聞こえて来ます。しあわせなカフェ時間。と、目の前に高校時代の吹奏楽仲間のゆういちろうと後藤くんが立っています。あまりにも自然な登場です。やあと手を挙げて、まるでまだ自分たちは高校生で、県民会館での全体練習の前にちょっと抜け出してコーヒーを飲みにきた、というような錯覚を覚えました。
くらくらしました。偶然にしてはできすぎです。だいたい、高校時代にこの店に一緒に来たことはなかったはずです。その場で交わす話の内容も、登場する固有名詞が多少かわったことをのぞけばあの頃からほとんど変わっていないようなことばかりで、高校生の自分だったら確実にうんざりしていたはずです。でも今日は、この場所で二人に出会えたことが何か天啓のようにも思えました。
(こういう場所が街にあれば、時間がたっても、偶然でも、人は人に出会える……)
そうです。じつは昨日から頭の片隅にずっとあって、ますます存在感が大きくなりつつある、例の塩竈カフェ計画のことを思っていたのです。誰かが(まだ妄想の)塩竈カフェのアイデアに、どこかで小さく拍手してくれているように感じました。店内の匂いや食器が触れる音、窓から差し込む光の具合、ドアからすべり込む冬の寒さ、雨の日の湿度の感じまで、一瞬ですが確かに目の前をかすめていきました。まるでそんな店が、いつかどこかにあったかのように。