2011年8月15日
子どものころ、お盆になると実家の仏壇は飾りもので彩られ、綺麗な回り灯籠が涼しげな影絵を壁に写していました。
親族のおばあちゃんたちが、おほとけさまに会いにやってきます。「大きくなったごだ。何年生だ〜?」という毎年繰り返される問いに照れながら答えます。おばあちゃんたちは、亡くなった(ぼくは会ったことのない)人たちのことを、まるで昨日も会っていたかのような口ぶりで話し、そしてふいに去っていきます。
この人たちは、明らかに自分よりも死んだ人の近くにいる。そう思うと、めまいのような不思議な感覚にとらわれました。生きているのに、死んだ人に近い。生きていることと死んでいることは、ある一本の線のこちら側と向こう側ではなくて、どこか曖昧なにじみの中で移ろっていくことなのかも知れない。そんなことを考えながら、いつしか「たましい」というもののことを考えはじめていました。
肉体の死、などという観念の言葉は持っていない自分は、どこかで肉体の死がたましいの死ではないことを感じていたように思います。感じていた、と言うよりは、信じていた。信じていた、と言うよりは、祈っていた。その祈りの中で、どうにかおばあちゃんたちと、おばあちゃんたちを通して会ったこともない自分の祖先たちとつながろうとしていたように思います。そうするしか、自分がこの世界にぽつんとあることを「そうでいい」と許してもらえる方法がないように思ったのです。いま書きながら思い出しました。まさに「許して」と思っていました。何に対して? わかりません。わかりませんが、きっとこの世界にぽこっと飛び出してきてしまったことに対して、だと思います。親のせいでも、祖先のせいでももちろんなく、自分自身の問題として、いま「この世界」にはみ出してしまったことを、誰かに「それでいい」と許してもらいたかった、認めてもらいたかったこどもの頃。今よりもはっきりと、自分が以前はこの肉体以外のからだとともにあった誰かだったことを、はっきりと感じていました。
うまれかわりとか前世の記憶とかではなく、ただただ、自分の中にあふれる、ここまでたった数年の自分の経験からは明らかにはみだすような量の感情の渦、情感の奔流を前に、このからだの真ん中にある「たましい」のこれまでの長い旅を感じていました。それを認めないことには、自分という器自体がこわれてしまう。自分がほんとうは誰なのかわからなくなってしまう。幼いころ、そういう形を持たない問いの中にいました。
人間は自然の一部として存在している、というエコロジーと同じように、たましいも自然の一部として存在していると考えればいいと思います。いわば、たましいのエコロジー。
わたしたちのいのちもたましいも、孤独な石ころのようにここにある訳ではなく、たくさんの今ここには見えないものたちとともにある。
いのちは、ずっとつながっています。いま生きている私たちは、いのちの連鎖の一番の先端です。そういう意味では、このいのちは一度も死んでいない。いまこの肉体で生きている僕の中には、何万年もの時間が流れている。ひとつのからだの中に。たくさんのいのちとたましいのつながりがある。
今日はお墓参りにいけずとも、そのことを感じ考える日であればいいと思います。そのことに思いを向けたとき、自然とこのいのちの連なりを思い、父母を、その父母を、その父母を、敬う気持ちが生まれるのだと思います。