2025年1月25日
【 1 標本箱と不死 】
友人がひとり、この世を去ってもう2ヶ月になる。
あの日、山奥で農家の老夫婦のいつまでも終わらないのどかな稲刈りを撮っていた。「昼にすべか」と呟いてゆっくりと軽トラに乗り込むふたりを見送って、ようやく田んぼに射してきた光を見た。
短いメッセージがきて、「森さんが今朝亡くなりました」とある。スマホをポケットに戻して撮影を続けた。
安らかな最期であってほしいと願う。
プラダ・ウィリー症候群という15000人に1人の難病を持って生まれた彼はその生涯の多くの時間を想像もつかない痛みの中で過ごしたから。最期は病院でなければいい。これまでうんざりするほど病院にいなければならなかったから。
2024年2月、群馬県の前橋シネマハウスで映画『うたうかなた』を公開した時、森雄祐さんはお母さんとペアルックの青いセーターを来てやってきた。
上映中、二人の背中が楽しそうに笑っていた。
森さんはその映画の主人公だった。
帰り際、彼は「続編を」と一言残して去り、お母さんは「こうして映像を残してくださって感謝です」と笑顔でおっしゃってから「息子はいつ死ぬかわかりませんから、またぜひ撮ってください」と付け加えた。
プラダ・ウィリー症候群は遺伝子異常により、どんなに食べても食欲が満たされないことから糖尿病を引き起こし、多くは二十代前半で死期を迎える。
その幼い子どものような外見からはわからなかったが、森さんは35歳だった。
映画は彼の最後の一年の記録となった。
群馬に向かい、お母さんの依頼で彼の葬式を撮影した。
カメラがあってよかった。カメラがなかったらどういうふうにそこにいいかわからなかった。そうして見ることに没入して救われる代償に、眼に刻み込むように徹底的に撮らなければならなくなった。彼がどんな顔で死んだか、周りの人たちが彼とどんなふうに別れるか。
結局、自分は見ることしかできない。
見ることをそのまま供物にするしかなかった。
朝、起こそうとしたら死んでいたという。
誰も触れないのにめくれたページのような死。
その日、確かに森さんの肉体の終わりを見たはずなのに自分の内に彼の死が書き込まれていない気がする。映像制作を生業としているからなのか、亡き人を思い出すとどこからともなく顔や声が再生されて、いつまでも死を認識できない。なぜかそうやって亡き人を不死にしてしまう。
2023年、知人の紹介で群馬県のAIRへの参加が決まり、ぼくの仕事を知る人が前橋市の郊外にある障がい福祉サービス事業所〈麦わら屋〉を案内してくださった。
以前は工務店だったという大きな切妻の屋根の建物がひとつ。同じ通りの3軒先に青い鉄骨と白い波板でできた大きな倉庫があり、そこで50人の利用者と18人の職員が生活を送っていた。
倉庫の中の「アトリエ」とか「アート」と呼ばれるプレハブ小屋ではじめて森さんに会った時、彼は坊主頭に白いランニングに赤い半パン姿で天井に向かって口を開けて昼寝していた。それから起きて隠れながらお菓子を食べ、話しかけると机の下から銀色の缶カラに入ったプラ板の作品を取り出して見せてくれた。小指ほどの小さなエビやタコやイカなど、海の中の生き物たちがたくさんいた。
子どもの頃、友人になった証に宝物を見せ合った時の親密な空気が流れはじめて、ぼくの構えるカメラの前に彼の作った作品が次から次へと現れる。中でも1mを超える幅のガラス付きの木枠にプラ板や粘土で出来た、小さなサカナ・リンゴ・ノコギリ・包丁・ホットドッグ・ヤキトリ・ハンバーグ定食などが虫の標本のように止められた作品に心を奪われた。
日常的に目にするたわいもないモノが彼の手を通してミニチュアとして再現されると途端に宝石のように、いやむしろ本物の宝石よりも純粋な輝きを帯びたおもちゃの宝石になるのだ。子どもの頃、なんとなく手にした石を捨てられなくなったように森さんの彫刻のささやかな美しさをポケットに入れて身につけていたいと思った。それはいつか忘れたころにふとポケットから現れて、この地上のたわいもない日常の愛おしさを思い出させてくれるだろう。
森さんの標本箱をその日のうちに買い取った。
3億円と言われたが、3万円に値切ったのを覚えている。
彼が死んでから数日後、なぜかあの輝きの正体を突き止めたと思った。
あれは好奇心が世界の事物と出会う時にだけ生じる初々しい認識の光だ。
【 2 長谷川さんのリトルネロ 】
長谷川さんが一日のうち唯一手を休めるわずかな時間のことだった。
それまで絵を描いていた彼は唐突に席を立ち、プレハブの出入口のアルミドアの前へと歩いていく。ご機嫌に歌いながらドアのガラスにうっすらと反射した自分を見つめる。それから、身を揺らし、髪をかきあげ、歌の調子を変え、目を見開き、また自分の顔に見とれて、たまに笑う。
ドアの外からカメラを構え、長谷川さんの表情を写す。
まるで彼が覗き込む鏡の裏に入り込んだようだ。
正面に立つぼくもカメラも、彼の意識の圏外にある。
そのまま3分が経つ。
たとえば、庭の縁側に座ってどこからか飛んできた鳥を見る。その鳥と人のように長谷川さんとぼくは異なっている。鳥は鳥の時間の内にあり、人は人の時間の内にあり、互いに干渉しない。それと同じように長谷川さんは長谷川さんの時間の内にいて、ぼくはぼくの時間の内にいる。
たった2m先で大きく見開いた彼の目がこちらを向いている。
見ることと見られることの一本の直線上で向き合いながら、長谷川さんであることからもぼくであることからも限りなく遠ざかって、ただのふたつの生き物になる。
くるりと踵を返してその直線から消える。
彼は絵を描きに行く。
プレハブから賑やかな声が漏れてくる。聞いたことのない単語のようなもの、句読点のないつぶやき、ラジオのモノマネ、悪態や奇声や笑い声。やかましいとか誰にどう思われるかとかそういう制御が一切ない。言葉に意味がなかった。声はただ音だった。だからその喧騒の中に居るだけで思いがけない深い安堵に包まれた。
ここにはいつも歌が鳴り響いていた。
それが止むとあたりを見回してしまうほどにその歌は空間に浸透していた。
「まーーーーーー」としなやかにのびていく高い声は、アジアのどこか奥地の宗教の経文を唱えているようであり、「ほーてぃきてぃー、ほーてぃきてぃー」と跳ねるようなところは子どものようでもあり、「かなかなかなかなかな」と蝉を擬態しているのかと思わせ、胸をどんどん叩きながら「り、り、ま!」と短く強い音を打ち込んで間をあけるところは詩の朗読のようだった。ただの音かと思っていると、突然「かぼちゃのぷりん」などの好物が入り込み、劇的な口調で「ゆきこゆきちゃん」と囁き、ふいに「さよなら」と言って黙った。
長谷川諒さん(27)は歌いながら、休みなく絵を描く。
フリージャズの即興のように瞬間に生まれ出るエネルギーに乗って、声を奏で、なんの迷いもなく手を動かす。鳥のような人の体の一部のような、とらえどころのない形を無数に描き、鮮やかな色で塗る。歌うことで、描くことで、この世界に感覚を放り投げ、その反響を確かめる。
響きはすぐに消えてしまう。だからまた次の絵に取り掛かる。
そうやって繰り返す。絶え間なく繰り返すことで自分の領域を出現させる。
使い慣れた体や歩き慣れた道のような領域を紙の上に、空間に、広げていく。
以前、友人が教えてくれた「リトルネロ」という概念を思い出す。
暗闇に幼な児がひとり。恐くても、小声で歌をうたえば安心だ。子供は歌に導かれて歩き、立ちどまる。道に迷っても、なんとか自分で隠れ家を見つけ、おぼつかない歌をたよりにして、どうにか先に進んでいく。歌とは、いわば静かで安定した中心の前ぶれであり、カオスのただなかに安定感や静けさをもたらすものだ。子どもは歌うと同時に跳躍するかもしれないし、歩く速度を速めたり、緩めたりするかもしれない。だが、歌それ自体がすでに跳躍なのだ。歌はカオスから跳び出してカオスの中に秩序を作りはじめる。(ジル・ドゥルーズ、フェリックス・ガタリ「リトルネロについて」)
一枚の絵を描く。その都度、一個の秩序が立ち上がる。
次第に紙が形で埋まってくると、はじめ混沌としていたその絵が実はなんらかの秩序に基づいていることに気付く。いや、なんらかの秩序から絵が生まれたのではなく、絵を描くことによっていまこの場で秩序そのものが発生してくるのだった。
長谷川さんのリトルネロが、彼自身に向けた子守唄のように響く。
それはこの言葉で出来た社会で誰かを模倣して安心し、規律に従って平穏に暮らす並の人間には想像することすらできない途方もない混沌の中に彼が生きていることを意味していた。
*ドゥルーズ=ガタリの引用は『千のプラトー〈中〉資本主義と分裂病』(宇野邦一他訳 河出文庫)より
〈第10話|うたうかなた|前橋②〉につづく
|人に潜る|松井至|
|第1話|家は生きていく|石巻|①|②|③+映像|
|第2話|近くて遠い海へ|いわき|①|②|③+映像|
|第3話|人はなぜ踊るのか|川崎市登戸+映像|
|第4話|ゆびわのはなし|奈良|①|②|③+映像|
|第5話|いのちの被膜|京都|①|②|③+映像|
|第6話|握手|
|第7話|「いのちの被膜」をめぐる対話|京都|前編|中編|後編|
|第8話|田んぼに還る|西会津|①|②|③|④|⑤|⑥|⑦|⑧|
|第9話|光を読む|『私だけ聴こえる』|①|②|③|
|第10話|うたうかなた|前橋|①|
松井至[まついいたる]
1984年生まれ。人と世界と映像の関係を模索している。
耳の聴こえない親を持つ、聴こえる子どもたちが音のない世界と聴こえる世界のあいだで居場所を探す映画『私だけ聴こえる』が公開され、海外の映画祭や全国40館のミニシアターで上映され反響を呼んだ。令和4年度文化庁映画賞文化記録映画大賞受賞。
誰からでも依頼を受けるドキュメンタリーの個人商店〈いまを覚える〉を開店。
日本各地の職人と自然との交わりをアニミズム的に描いた〈職人シリーズ〉を展開。
コロナ禍をきっかけに、行動を促すメディア〈ドキュミーム〉を立ち上げる。
無名の人たちが知られざる物語を語る映像祭〈ドキュメメント〉を主催。
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