草日誌

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2026年7月29日

ソラノマド|高山なおみ 
小さな書斎

| 小さな書斎 |
 
 朝起きると、エアコンを消そうかどうしようかと考える。迷った末に、ちゃんと夏を感じたいからと思い、窓を開ける。セミたちの声が聞こえ、ほっとする。

 腕を窓から出してみる。きのうよりはちょっと涼しいかなあ。でも、またすぐに気温が上がり、暑くてたまらなくなるかもしれないから、やっぱり閉めておこうか。

 このところ、ずっとそんな日々。エアコンをつけっ放しにしておけば、涼しくて心地いいことは間違いないのだけれど、外の空気を感じられないのが、なんとなく不安。 

 夏は陽の出の時刻が早い。去年までの私は、カーテンの隙間が白くなると窓を開け、ベッドに寝そべったまま空を見上げていた。明け方にはヒグラシの声がした。ヒグラシは日暮れによく鳴くけれど、空が明るんでくるころにもひっそりと鳴く。小鳥たちよりもずっと早起きだ。

 そのうちに、みんみんしゃんしゃんじりじりと、いろいろなセミたちの大合唱。ようやく起き出して、バスタブにお湯を張りに階段を下りる。私の夏の一日は、いつもそんなふうにはじまった。

 ラジオの天気予報によると、神戸の最高気温は38度。体温を上まわるような暑さなど、遠いところの話だとばかり思っていたから、いざ自分の身にふりかかってみると、まったく感じがつかめない。「エアコンを適切に使用し、熱中症に注意をしてください」と言われても、適切ってどれくらい?

 午前中は、玄関を網戸にして扇風機を回しておけば、山から海から風が吹き、エアコンのない1階のリビングでもけっこう過ごせる。

 氷をいっぱい浮かべたお茶をごくごく飲んで、パソコンに向かい、夢中になって原稿を書いていたら、痺れるほどではないけれど、手や足の裏がじりじりしてきた。あんまり暑いと、息がしにくくなることも思い出した。頭ではなく、体で思い出した。

 それで私は、ようやく合点がいき、寝室に小さな書斎を作ることにしたのだ。

 書斎といっても、化粧台代わりにしているライティングビューローに、同じサイズの木箱の台をふたつ並べただけだけれど。机がわりの扉を開けると、化粧品や常備薬、綿棒など細々したものが並んでいるので、刺繍のクロスをかけて目隠しにしたら、どことなく、外国の子ども部屋みたいになった。

 このライティングビューローは、昔々に祖父がこしらえたもので、幼いころから、実家の柱時計の下にあった。ちょうつがいのついた扉を開けると、チョコボールのような把手の小引き出しがあり、印鑑がしまわれていた。

 棚には便箋や封筒、インク壺やペン、インクの文字のにじみを吸取るための小道具が並んでいて、父も母もここで手紙を書いたり、大切な書類に判子を押したりしていた。

 私が高校を卒業し、上京するときに黒いペンキを塗り、家財道具のひとつに加えてからは、幾度もの引越しに耐え、もう50年近く化粧台として使っている。

 風が止むと、今日も私は小さな書斎にノートパソコンとキーボードを持ち込み、書き物仕事。不便はあるけれど、なにしろ涼しいのがありがたいし、安心して没頭できる。

 私はきっと、心の拠りどころがほしかったのだ。そこは、自分の体のいちばん近くにあるなじみの場所。

 この感じ、何かに似ているなあと思ったら、コロナだ。

 感染者の数が日に日に増えていったあのころ、私はベッドに寝そべって、小鳥たちのさえずりを聞いていた。空は青く、海は霞に覆われ、風も少し吹いていた。大きな蜂がぶーんと窓を横切ったとき、私は思った。

 自然界は夏に向かって、生命の営みを繰り広げている。この状況は、いつかは必ず終わりがくるだろう。だから、それまで自分は、ぜったいに感染しないように努めればいいのだと気づいたんだった。
 

 
 
 
 
〈 了 〉
 

 
文・写真 高山なおみ
 
 
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