
2026年6月25日

| 日記と私 |
カーテンの隙間が明るくなっていたので、もう起きてしまう。
窓を開けると夏山の匂い。湿った地面と、濃い緑。昇ったばかりの太陽にさらされ、そこらじゅうが目覚めはじめた新鮮な匂い。
きのう淹れたコーヒーが冷蔵庫にあったのを思い出し、温め直して戻ってきた。
ちょっとひんやりするので、カーディガンを羽織った。早起きのツバメたちが、空を行き交っている。高いところの雲がどんどん流れていく。けれどもう、さっきの真新しい匂いは薄まった。まるで、薄い膜がかかったみたいに。
そのうちに、西の街が白く光ってきた。
今日は、晴れそうだな。
若いころに私は、夏休みになると山小屋で住み込みのアルバイトをしていた。そこは、古びた木造の校舎のような建物で、一階の土間に薪ストーブがあった。
ストーブのまわりには、丸太を切った腰かけが無造作に並び、そのひとつひとつに、おばあちゃんが編んだみたいな毛糸のカバーがかかっていた。
朝起きると、インスタントコーヒーの粉をすくってマグカップに入れ、ストーブの煤ですっかり黒くなった、ホーローの重たいヤカンを両手で持ち上げ、こぼさないよう気をつけながら注ぐ。
そうして、今にも傾きそうな外のテラスに出ていくと、私は上着の襟もとを寄せ、林の向こうに横たわる池の水面を見ながら、熱い熱いコーヒーをすすった。
今朝は、ラジオ体操の前に洗濯機をまわすことにした。貴重な梅雨の晴れ間だもの、できるだけ早く干したい。
このところの湿気で、バスタオルがちょっと臭っていたので、漂白剤と洗剤で浸けおき洗い。ふと思いつき、洗いカゴの箸立ても、漂白剤を溶かした水に浸けてみた。
冷蔵庫を開け、朝ごはんの果物とヨーグルトを取り出しながら、お昼ごはんに何を食べようかと考える。
そうだ、きゅうりがあるから、即席のみそ漬けにしよう。
ヘタをつけたままのきゅうりを1本まな板にのせ、二等分したら、それぞれたて半分に切る。
種とワタは、小さなスプーンで掻き出し、そのへこみに指先でみそを塗りつける。
密閉できるポリ袋に並べて口を閉じ、そのまま室温に置いておけば、重しなどしなくてもお昼には食べごろになる。
この、パリパリとしたみそ風味のお漬物は、陶芸家の島るり子さんに教わった。
薪窯の上の小高い山を切り開き、ほぼセルフビルドで建てた彼女の小屋に泊まったのは、去年の夏の終わり。
ヒグラシの声が雨みたいに降ってくる台所。私は隣に立って、るり子さんの手もとをじっと見た。
掻き出した種とワタはとっておき、「庭のミントと合わせて、ヨーグルトサラダにするの」と言っていたのを思い出し、私もやってみる。
ミントはないけれど、ヨーグルトをとろんとかけ、塩をひとふり。とたんに、昔旅した灼熱のウズベキスタンに連れていかれた。
砂漠へ向かうタクシーの移動中に、木陰で飲んだチャロップ。細かく刻んだきゅうりとトマト、ディルが香る、ほんのりとした塩味の冷たいヨーグルトスープは、飲むサラダのようだった。
きのう見たもの、感じたこと。
去年、おととし、何十年も前のこと。
たくさんの記憶が、私の体の中で境なく重なり、今日見たもの、感じたことと混ざり合う。
私が日記を書くのは、そういうひとつひとつを取り出して、手のひらにのせ、もういちど味わいたいからだろう。
この間の夏至の日に、刷り上がったばかりの新刊『光る海を見ていたら 日々ごはん 2022 1→12』を、窓辺のテーブルに並べ、サインをした。
1年分の日記なので、国語辞典ほどの厚みがある。
つや引きのカバーに描かれたマス目は、ほとんどが白とペパーミントグリーン。たまに、辛子色やサーモンピンクもある。鮮やかな赤と青、グレーはほんのぽっちり。
それらのマス目模様は、この部屋のリノリウムの床がモチーフになっているのだけれど、落ち着きのある色も、悲しい色も、楽しい色も、おいしそうな色も、私にはそのひとつひとつが、日々、日々、日々というふうに見える。
表紙を開くと、まっ白な扉のページ。
そこに並ぶ白いマス目には、私のささやかな日記を楽しみに見守ってくださった読者のみなさんが、それぞれの日々の色を、これからつけていってくださるのかな。
20数年続いた私の『日々ごはん』シリーズは、この巻でおしまい。
あの日は玄関を網戸にしてあったので、山から海から風が吹き抜け、部屋中の布という布をはためかせていました。