2024年8月8日
柏木江里子さんは、昨年2010年8月30日、肺がんのため逝去されました。
生前はグラフィックデザイナーとして、またご自身のブランド「柏」のデザイナーとして手ぬぐいや帯留めなどの和小物、ポストカードなどを手掛けていらっしゃった方です。
信陽堂はアノニマ・スタジオ時代に、京都の井上由季子さんの本『文房具で包む』を作った際にデザイナーとしてお世話になり、それ以来のおつきあいでした。
柏木さんが南青山から清澄白河にお住まいと事務所を移されて、アノニマ・スタジオも蔵前に引っ越して、
「これからは大江戸線で一本で行き来できますね」
「蔵前なら自転車でも行けるわよ」
なんて立ち話をしたのを覚えています。
その後丹治は東京を離れている時期があり、柏木さんの体調がすぐれないことは人づてに聞いてはいましたが、直接お目にかかる機会はなかなかありませんでした。
最後にお話したのは、いったいいつだったのだろう。
去年の夏のまだ暑い時期に訃報に接し、親しい人たちからお通夜や告別式の予定が回ってきたけれど、ちょうどその時期動かしていた企画の仕上げの時期と重なり、それを口実にどちらにも列席はしなかった。(柏木さんならきっと分かってくれる)と、甘えた事を言い訳に手を合わせなかったことが、心のどこかでずっとひかっかっていました。
今年になって、青木美詠子さんから連絡をいただきました。
青木さんはサン・アドという広告制作会社で柏木さんの後輩で、それ以上にも親しい友人だった方です。
「見てもらいたいものがあるので、会えませんか?」
と声をかけていただき、新宿でお目にかかりました。
その時に見せていただいたものが、この『いちにち いちにち』におさめられたスケッチでした。
その絵の中には、柏木さんがいると思いました。
病床で描きつづった草や花は、柏木さんの姿そのままでした。肉体という重い衣がない分、スケッチの中の柏木さんは軽やかに、生前の柏木さんよりも柏木さんらしかった。そんな気さえします。
そこからスタートしたのが、この本です。
絵には青木さんの言葉が添えられています。
ここではひとつだけ紹介させて下さい。
その人がいないところで
その人のことを
ほめていた
えりこさん
柏木さんはほんとうにそういう人だったと思います。
草日誌にも少しだけ柏木さんの思い出を書きました。
よろしければあわせてお読み下さい。(→ クリック)
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(この記事は2011年10月1日掲載のものを、新版発売に合わせて2024年8月8日に再投稿したものです)