草日誌

草日誌

2023年12月2日

人に潜る 第6話
握手

 

十代の終わり頃だった。

ひとり暮らしのアパートで宅急便の再配達を頼もうとダイヤルを押した携帯から宅配員の声が聞こえたとき、自分の名前をすっかり忘れていることに気がついた。

お名前は?

そう二度三度くりかえすこととなった宅配員の舌打ちが聞こえてきそうでとっさに机の上の郵便物をかき分けて宛名欄を読み上げる。その口のなめらかな動き。自分はこの名前を何千何万回も口にしてきた。こんなあたりまえのことを考えたのは生まれて初めてだ。汗が噴き出し、眩暈がする。
その日は気絶するまでアルコールを呑んだ。自分の名前すら忘れる人間に未来があるとは思えなかった。最悪なことにそれからも似たようなことが大小無数に起きた。これからも起こるにちがいない。
ぼくはそんなふうにできている。これまでの人生についてほとんど覚えていないし、思い出したいとも思わない。

十数年間を刑務所で過ごした友人と歌舞伎町で朝まで呑んだことがあった。

目が覚めるたびに自由を感じる

と彼は言った。目を覚ますたびに刑務所備え付けの剥き出しの蛍光灯の光を見る生活が終わったのだ。

毎朝、あの蛍光灯の光を見て、起きて、決められた廊下を歩いて、曲がって、決められた飯を食って、クソして、寝る。また朝が来て、あの光を見る。それだけを十数年していたら、自分の記憶とか過去とか、そういうのは俺が勝手に妄想しているだけでね、刑務所で生まれ育ったという方がリアリティーを持ってくるのね。だって自分が生きてきたってことを知っている人がいないわけだから。確かめられない。周りの人が外部記憶装置みたいになって、そこに自分が生きていたことの記憶が残ってるから。一人になると自分のことすら覚えていられない。噓じゃないかと思うわけ。

身振り手振りをまじえて出所当時を振り返る。

いま目の前に見えている皿とか肉とか酒とかスマホとか、こういう全てが中にはなかったから。刑務所の中にないものは現実味がないと感じる。触ったら本当に在るのかな? とか。VRみたい。出所祝いで食べ物屋に連れて行ってくれてありがたいんだけど「何がいい?」って聞かれても答えられないわけ。選ぶなんてずっとしてないから。うどんの種類を選ぶだけでものすごくくたびれる。

ある日、出所前からの知人と再会した彼はある映像を見た。

中学くらいの頃にテレビ局のニュースの特集が来て、俺らがつるんでいるところを撮っていったときの映像があって。けっこう有名な不良だったから。ガキの頃の俺が食事を前に「なぜ飯食うのに順番があるんだ? デザートから食って何が悪い?」って話してて、ああ、いいこと言ってるなって。自分はたしかにこんなふうに生きていたなって。映像が俺を覚えていてくれた。そんとき思い出せた。俺には俺の人生が在ったんだって。

ふと体が過去のワンシーンに揺り戻されることがある。
きっかけは些細なことだ。シャワーを浴びるとか。子供と頰を重ねるとか。食べものを口に入れる。宙に舞う埃を眺める。波の音。草いきれ。焚き火の熱。誰かの語りの声に溶けていくとき、ある固有の時間がまざまざと甦る。ふと詩の数行が甦り、潮に流され遠ざかる海水浴場が甦り、迷子になって歩いた人混みが甦る。
皮膚はこれまで通り過ぎてきた情景を焼き付けて内蔵しているのではないか。皮膚の下に〈ここではないどこか〉が波打っていて、外からの刺激をきっかけに過去のワンシーンへと意識を放り込むのだ。それが自分の記憶なのか他者の記憶なのか、実際に見たのか脳が作り出すのか、わからない。
ある固有の時間がまざまざと甦り、自分を思い出す。
それが自分なのかどうかもわからない自分以前を思い出す。
映像はもともと皮膚だったのかもしれない。

初めての土地ではスマホを切って迷子になる。
ふと自分はここに生まれ育って、あの角を曲がってすぐのカフェにいる友人に会いにいくところだと考えてみる。あるいは仕事帰りの会社員で家族のための献立を考えつつスーパーへと急いでいる。たまたまそうでなかっただけだ。たまたまここではない場所に生まれて、たまたま近くでロケをして、たまたまこの通りを歩いている。もうそんなことはどうだっていい。ほんのわずかな差でぼくは他人だった。迷子になって、その路地の人物になってみる。たったいま初めて目にする光景が懐かしい。
いまならこの土地が写る気がする。

子どもの頃から言葉が嫌いだった。
目の前に花が在るのに「綺麗だね」という一言で花が枯れる気がした。皆で笑っていたのに「幸せだね」という一言で噓になる気がした。
言葉が世界にし得る収奪はおそろしかった。

あらゆる事物から名前を剥ぎとってしまいたいと心の底から願った。コップがコップではなく、水が水ではなく、手が手ではなく、人が人ではなかったらどんなにいいか。わたしがわたしでなく、あなたがあなたでなかったらどんなにいいか。なにも分別されておらずどこまでも差異が広がっていて二度と繰り返すことのないこの世界を指差すことはできない。

最初の記憶はなんだったか覚えてる?

親戚の集まる花見の席で叔父が声をかけてきた。

俺はね。母親の背中に背負われて、身動きがとれないまま手足を目一杯動かした感触が残ってる。

酒飲みの家系でいつも愉しげな大声が響いていて、それが疎ましくなる年齢だったから、人の輪からはぐれた感じのする叔父の回想は心地よかった。それから自分の記憶を探ってみた。

荒野の一本道に馬が立っている。
馬がこちらに向けた尻をいつまでも見ている。
突然、馬は死んで真横に倒れる。

記憶のはじまりに奇妙な白黒のフィルムが焼き付いているのを見つけた。数年後、映画についての本を読んでいて「病馬が倒れる」という一節に会い、それが『戦ふ兵隊』(1939年製作、亀井文夫監督)だと分かった。陸軍の支援を受けて日中戦争に従軍し作られたが、反戦芸術と判断され公開禁止となった幻の映画だった。
祖父がこれを観させた。

なぜ馬は倒れたの?

と尋ねた気がする。
彼はなにか答えたはずだが、その口元の微笑み以外なにも思い出せない。

祖父は別れるときに必ず握手をする人だった。
彼の温厚なひととなりを知らなかったら驚いてとっさにふりほどいてしまうほどに思い切り掌を握りしめる握手だった。
彼の友人によると誰に対してもそうしていたらしい。
別れてからしばらくは手が痺れた。それがむしろ爽快ですらあった。あの握手には悪意がまったくなかった。
生きてまた会えると信じる純真と、明日死ぬことが決まっているかのような「さようなら」が目一杯つまっていた。
ぼくは密かにそれを戦争の痕跡だと考えていた。

映画の上映後に声をかけてくれる人がいる。
堰を切ったように自分の話をしていく。

子どもの頃、親の都合でアメリカの田舎に引っ越して、日本人が誰もいないような地域で。ものすごく不安で、だんだんと喋れなくなってしまったんです。それを見かねた牧師さんが自分と同じような子に会わせてくれて救われたんです。いまでも連絡をとっているんですよ!あの時期に打ち解けられる仲間がいなかったら死んでたなって。ごめんなさい。なんか自分の話ばっかりで。映画を観ながらずっと思い出していました。

隣でパートナーの方が、初めて聞いた、とつぶやく。

ひとつの映画の光を観ながら、同時にもうひとつの映画のようなものが個々人の内で上映されている。

映画館の出入口。これから暗闇の中で他者の生に触れるようとする人たちを見送る。映画がはじまると人々は自分自身に許可を求めはじめる。最初の数分は知り合いのいないパーティーに来たように馴染めない。
ここにいていいのかを考えてしまう。
映画に映るこの他者を感じていいのか。
受け入れていいのか。
ともに笑っていいのか。
泣いていいのか。
愛おしくなっていいのか。
美しさを見つけていいのか。
怒っていいのか。
安堵していいのか。
その許可をおろす。
うまくいけばなにかを思い出すかもしれない。いや、うまくいけば、という言い方はおかしい。思い出したくないことを思い出してしまわないようにという理由で映画を観に来ない人は多い。

映画の半分は観る人が作る。
複製芸術である映画は上映の真っ最中に個々人に委ねられ、その心の内で固有の経験へと変容する。
そうでなければ何時間も黙って他者の生に触れる必然がない。

あなたはあなたであり、わたしはわたしであるという分別を完結できるならドキュメンタリーなどこの世に無くても済むが、人はそんなふうにできていない。

空の見方を教えてくれたのは祖父だった。
最初にやった釣りでたまたま2匹のメジナが釣れて有頂天になった小学生の自分は、夏休み、千葉で釣りをすることばかり考えていた。明け方に祖父を起こし、ふたりで釣具を持って防波堤へと歩く。昨晩、本を読んで研究した仕掛けに餌をつけて海に垂らす。じっとウキを見つめる(見続けていれば釣れると信じていた)。

おおい こっちに来て寝転がれよ

振り向くと祖父はアスファルトに大の字に寝転がっている。釣りをしたくて入念に準備をしたのに……。渋々、祖父の隣に寝転がりながら釣り竿を見る。魚が餌をつついたのか、竿の先がぴくぴくと揺れている。引き揚げなければ、と立ち上がる。

餌はぜんぶ魚にやれよ

祖父は他人が何かしようとしているときに割って入るような人ではない。よほどのことだ。今日はもう諦めて言うことを聞いてみよう、と考えて餌をぜんぶ海に投げてもう一度寝転がった。

空を見てみろよ

とても真剣な眼が宙空に向いている。
脚本家だった祖父が原稿用紙に文字を綴るときと同じ眼だ。推敲のために手元の文字ひとつひとつに視線を垂らすとき、どこか宝石の輝きを確かめるようだった。
なにか見せたいものがあるのか。それともなにか面白い話をしてくれるのだろうか。そんな期待が消えてなくなるほど長い沈黙の中、アスファルトに自重を預けて見上げる空をトンビが横切る。

どれくらいそうしていただろう。
空を見ているうちに空そのものになってしまった。
肉体が気体になって大きな空のあらゆる方向にすみずみまで音もなく広がる。はじめは怖かったが、いつしかふたりで眠っていた。
帰路についても空になった感覚が体を占領していて、何度も転びそうになった。
空を見るのではなく、空になるのだ。
なにも持たずに。
祖父はそうやってぼくに生きることを教えた。

いつのまにかわたしがわたしから離れて外の世界に溶け出してしまう。目の前の風景がふと夢に思える。幼いとき、一点を見つめたままいつまでもぼーっとしているぼくを大人たちは心配した。はたから見ても変わった特性が出ていて、からかい甲斐があったのだろう。小学校ではいじめにあった。「いつも眠そうな顔をしている」と笑われ、学校に貼ってあるすべての写真の顔の部分が破かれて、朝教室に入ると机の上に針で罵詈雑言が彫り込まれ、花瓶に挿した花が置いてあった。こんな典型的ないじめに遭うこともあるのかと笑った。感情を動かさずに自分をとりまく空間を外側から見ることで平静を保とうとしたが、世界との解離が際限なく深まっていくのをどうすることもできなかった。

ぼくが14歳のときに祖父は死んだ。
癌が転移して痛みがひどいはずなのに祖父は自分の体に起きていることをどこか他人事のように捉えていて、愚痴や不満を口にしなかった。死期が近いので、祖父の病室のベッドの横に布団を敷いて泊まった。彼の友人たちが見舞いに来てぼくに「お孫さんかい?」と尋ねると、祖父はかすれた声を搾り出して「そんなもんじゃないんだ。俺の親友なんだ」と言った。
医師がモルヒネを使うかどうかを尋ね、祖母はそれに同意し、祖父はただ呼吸する胸だけを上下させて宙空を見つめていた。
人の死に立ち会うのは、初めてだった。
モルヒネで意識のない祖父の手を握ったまま眠り、起きても握り続けて3日ほど過ごした。骨の浮き出たその体を覆っているなめらかな皮膚がいつもより白くほのかに明るかった。すべての役目を終えた肉体から生気がなくなるのを見届けていた。親友の最期をなにもかも覚えておかなくてはならないと思い込んでいた。

突然、祖父の手がぼくの手を握り返す。
それも思い切り強く。
誰も何も気づいていない。

数時間後に心拍が停止した。彼の顔に不似合いな化粧が施され、葬式がはじまり、火葬が終わってもぼくはずっと驚き続けていた。これまで認識していた世界は実は半分で、もう半分、死の世界があると知った。あの握手は死の方からやってきて語りかけたのだ。百万語を費やすよりはるかに饒舌に。それを読み解くことがそのまま生きることになるように。
祖父はそうやってぼくに死を教えた。

私が消えて人と人とが直通になる瞬間があるんです

つい先日、手話通訳士の方をインタビューしたらそんなふうにおっしゃった。ろう者と聴者、手話と音声言語のふたつの世界を行き来して心の壁を無くそうとする冒険の楽しさが伝わってきた。
制作も同じだ。
映像を媒介に人と人だけでなく、人と死者、人と他の生き物、人と物、人をとりまくあらゆる存在との間を行き来する〈存在の通訳〉になれたらと思う。通訳が成立すれば、自分が消えて人と世界は直通になる。

撮影現場に着く。
出演者をとりまく空間に入る。
目が合って挨拶を交わすまでのわずかな間に、ここでこれから撮るショットや音の響き、存在の表情が洪水のようにやってくる。
「はじめまして」の裏で「ようやく会えた」と感じる。
「よろしくお願いします」の裏で「さようなら」を覚悟する。
そこで起こるあらゆる情景を焼き付ける。
現場ではなにもかも覚えておかなくてはならない。
「ありがとうございました」と立ち去って、ふと考える。

映像は握手にならないか。
思い切り掌を握りしめて生きることに迷ったらいつでもそこに帰ってこられる魂の故郷のような握手にならないだろうか。

〈第6話|握手| 了〉
 
 
 
 
 
|人に潜る|松井至|
|第1話|家は生きていく|石巻|③+映像
|第2話|近くて遠い海へ|いわき|③+映像
|第3話|人はなぜ踊るのか|川崎市登戸+映像
|第4話|ゆびわのはなし|奈良|③+映像
|第5話|いのちの被膜|京都|③+映像
|第6話|握手

松井至[まついいたる]
1984年生まれ。人と世界と映像の関係を模索している。
耳の聴こえない親を持つ、聴こえる子どもたちが音のない世界と聴こえる世界のあいだで居場所を探す映画『私だけ聴こえる』が公開され、海外の映画祭や全国40館のミニシアターで上映され反響を呼んだ。令和4年度文化庁映画賞文化記録映画大賞受賞。
誰からでも依頼を受けるドキュメンタリーの個人商店〈いまを覚える〉を開店。
日本各地の職人と自然との交わりをアニミズム的に描いた〈職人シリーズ〉を展開。
コロナ禍をきっかけに、行動を促すメディア〈ドキュミーム〉を立ち上げる。
無名の人たちが知られざる物語を語る映像祭〈ドキュメメント〉を主催。
仕事の依頼などは 【こちら】まで。

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