草日誌

草日誌

2023年6月10日

人に潜る 第4話
ゆびわのはなし|奈良 ②


 
 
 

3ヶ月後。奈良の吉野口を訪れると、萩下さんと旦那さんがおふたりで迎えてくださった。なだらかな山の裾に建つ小さな古民家に案内されて、その薄暗い土間から中に入ると床ではなく砂利石が敷いてあり、いくつかの作業机には木材を切断し、穴を開け、磨いて指輪にするための道具が置かれていた。ものをつくる人のまわりの静寂が長い歳月をかけて空間に染み込み、工房の空気は透き通っていた。

「なぜかストーブがどれも壊れてしまって……ごめんなさいね……」
萩下さんはどうにか工房を暖かくしようと薪ストーブに火を付けておられた。ふと、写真立てに入った比較的最近のご家族の集合写真が目に入り、旦那さんに「お孫さんは何人おられるのですか?」と尋ねると「あれ……忘れてますな……。あかん! これ、怒られるやつや!」とおっしゃって笑っておられるので、こちらもついつられて笑ってしまった。

「この木がいいよ……」と小さな声で相談をしながらおふたりで薪ストーブに火をつけていた。そのなんともやわらかい夫婦のやりとりを見ていたら、なんとはなしに撮影に入っていった。時間は、おふたりのまわりにゆったりと流れていた。たとえば、晴れた日に幅の広い川を眺めていたら水面に浮いて流れてみたくなるように、おふたりのまわりの時間に身を委ねたくなった。
もうカメラを出してよかった。
カメラは撮影の道具という目的のはっきりしたものではなく、異なる時間の流れに溶け込んでいくための乗り物のようなものとしてあった。その乗り物で遠くにある異なる時間に向かっていくと、いつのまにかそこは自分も含む同じ時間として開けてくるのだった。カメラで見ることは、カメラで見ないときの見方まで変えてしまう。カメラはいつも傍にあって、そんなふうに自分や世界が出来上がる以前の方へとぼくを立ち戻らせる。

薪が燃えだして家が温かくなってきたころにインタビューをはじめた。指輪の話を聞きたいと伝えると、萩下さんは鞄からあの黄朽葉色のビロードの指輪箱を出してくださった。

——この指輪は、お母さんからもらったのですか?

母からはいただいてないですね(声を上げて笑う)。
あのう、母が亡くなってから、私がいただきました。

——じゃあ、お母さんは亡くなるまでずっと大切になさっていた?

そうですね。母が亡くなってから、たぶんアレがあったなという感じがしまして、見るとちゃんとあったので、あっこれはいただいておきましょうと。

あれも不思議。ほんっと不思議ですね。
ちょっとはめてみようかなっていう好奇心で、はめたんですよ。母の。ルビーの。そうすると、ふっと手を見ると。何日間はつけてたんですけど、ふっと気を抜いたときに無くなっているのですよ。え? どこへいったの? って思ったら、どこ探してもない。ああ、そうか、あの箪笥の中に仕舞い込んでいたのは、誰にもつけてほしくなかったんだって。その時にふっと思ったんですよね。
で、それで、いや、でも、これは探さなきゃいけないわと思って。探したのですけど、どこにもないんです。で、それからずっと後に箱の中を整理していたんですよね。本とかいろんなものを入れてる箱があるので、そうするとそこからポロンと、出てきたんですよ。なんでこんなところから出てきたの? と思って。ああもうこれは「許してあげるよ」(と母が言っている)ということなのかなあと思ったり。「はめるときはちゃんと気持ちを込めてはめなさい」というようなことを(母が)言ったのかなあ、とか思ったり、いろいろ複雑な気持ちでしたね。無くなったということが。

——はめているのに自分のものになってくれない感じ?

そうでしたね。そのことはね。
あっそうだ。母は私につけてもらうことが、あまり気持ちよく思ってないんだっていうふうに思いましたね。
必死になって探しても無かったものが、え! まさかこんなところから、というところから出てきたんですよ。あの時にやっぱり嬉しかったですね。

——お母さんがやっぱり「もういいよ。あげるよ。」っていうふうに思ったんですかね?

そうですね。きっとね。必死になって探してるのを天国から見てて、可哀想やな、と思ったのじゃないですか?

——それからはもう自分のものになったなというか、馴染むようになったなという感じはありますか?

いや。あのお……。
もうしません。
あのね。
ケースのこの中に入れたまま。
うーん。

——どうしてですか?

涙を拭う手がうつむいた顔を覆い隠すように真ん中で止まったまま動かなくなった。

やっぱりね……
(長い沈黙)
……母はすごく大切にしていたんだと思いますよ……

薄暗い畳部屋の黒い簞笥の上の段を覗き込む母の背中。
それをじっと見つめる子どもの眼。
数秒だが永遠のような沈黙。
その中で母が母でなくなってしまう。知り尽くしていたはずの親の顔が、指輪に魅了されたひとりの他者の顔になってしまう。
子どもはそれに気付いたのではなかったか。

いくら歳とっても、子どもなんですよね。母親のことになると。
子どもなんですよ。もう70のおばあちゃんだけど。母のことを聞かれると、もう子どもになって。幼児になるんですよね。だから、「ああ……お母ちゃん」っていう感じの涙ね(笑)
そう。幼児になるんだ。あの頃に帰るんですよ。
だから……。きっとそうだと思う……。

他者である母の顔を、どうにかうち消そう、忘れようとしようが、見てしまった。それは同時に子が子のままでいれなくなる瞬間でもあった。そのときに萩下さんの内でひとりの幼児の時間が切り離されて、行き場をなくして残ったのかもしれなかった。
人は過去から未来へと直線的に時間が進んでいくことを頭では信じていながら、ふとしたときに幼児の体感に帰る。波打ち際ではしゃぐ子どもの声を聞くとき、沈丁花のある道角を曲がるとき、通り抜ける風に死んだ人の気配を思い出すとき、自分の皮膚がまざまざと幼児の時間を生きるのを感じる。ふと五感を通って現れてくるそれを過去と呼べばいいのか、現在と呼べばいいのか、ぼくにはわからない。ただカメラの前の萩下さんは孫を持つ祖母であり、旦那さんの良き伴侶であり、指輪の話をすると幼い子になる。


 
 
 
人に潜る|ゆびわのはなし|奈良 (6月24日更新)につづく

|人に潜る|松井至|
|第1話|家は生きていく|石巻|③+映像
|第2話|近くて遠い海へ|いわき|③+映像
|第3話|人はなぜ踊るのか|川崎市登戸+映像
|第4話|ゆびわのはなし|奈良|③+映像
|第5話|いのちの被膜|京都|③+映像
|第6話|握手

松井至[まついいたる]
1984年生まれ。人と世界と映像の関係を模索している。
耳の聴こえない親を持つ、聴こえる子どもたちが音のない世界と聴こえる世界のあいだで居場所を探す映画『私だけ聴こえる』が公開され、海外の映画祭や全国40館のミニシアターで上映され反響を呼んだ。令和4年度文化庁映画賞文化記録映画大賞受賞。
誰からでも依頼を受けるドキュメンタリーの個人商店〈いまを覚える〉を開店。
日本各地の職人と自然との交わりをアニミズム的に描いた〈職人シリーズ〉を展開。
コロナ禍をきっかけに、行動を促すメディア〈ドキュミーム〉を立ち上げる。
無名の人たちが知られざる物語を語る映像祭〈ドキュメメント〉を主催。
仕事の依頼などは 【こちら】まで。

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