2023年3月4日
4日目。ちばさんから家の鍵を受け取って、午前中から撮影をはじめた。ようやく家と二人きりだ。二人きりという言葉は物や場所に対して使わないのかもしれないが、これまでこの「怪我人」である家にカメラを向けていいのか躊躇っていたし、その空間の中にいながらまだ他所者のまま撮影を許可されていないような気がしていた。この日の朝、玄関を上がって階段室の二階の窓から射してくる光を見上げたとき、もう長いことここに通っていて、ここをよく知っているような安堵を感じた。ここに居ることを許されたと思った。
じっと息を止め、カメラを構えて一つの画を見つける。すると録画している間に次の場所の次の画が思い浮かび引きつけられる。そこで次の画を作っていると、また次の場所に引きつけられる。その吸引力がどんどん強くなって、何も考えられなくなっていく。空間や物質の方が自分よりも強くなり、それら自分を包み込むものに次々と気付かされ、働かされ続けるのだ。汗が滲み出て、意識がぶつ切りになっていくのがわかる。家の外の細部、内部の展開図、津波の跡の泥を撮ったあたりで分厚い肌着の下の皮膚が冷え切って、ガタガタ震えながら機材を置いて咄嗟に家を出るとほとんど息ができていなかったことに気付き、大きく息を吸うと急に自分がおそろしいことをしている気がしてきた。真っ白になった頭を平常に戻そうと、できるだけ些末なことを声に出して言ってみる。「怖かった、怖かった、怖かった」と繰り返しながら通り沿いのラーメン屋に歩いて、温かいスープをずるずる啜って体に染み込ませながら、撮影は「写す」ことであり、「映す」ことであり、「移す」ことでも「感染す」ことでもあると考えて、それを恐怖している自分を発見した。いつもそうだったなと思う。撮影はいつもどこかであずかり知らないものに身体を引き渡すような感覚がある。「還って来られないかもしれない」という問いに対して「還って来られなくてもいい」と応えないと入り込めない次元がある。危険な状況下でも、平穏無事な所でも、世界のどこにいても。
ショットがある量を超えると、自ずと撮影の終わりがわかる。これ以上撮るべきではない、という感覚が大きくなり、余分に撮ってしまうことで対象との関係が薄まってしまわないかが気掛かりになる。もう二度とここにはこない、とわかることもある。
すでに家はもう充分にその本質をうつさせてくれた。それがなんだったかについては僕がこれから考えればいい。
5日目。初日の夜に書いたメモから、一つのシーンを作った。
ちばさんに連れられて誰かが入ってくるのを「家」が見ている。
〜未来の予兆〜
ちばさんが「家」に何があったかを話しているのを「家」が聞いている……
ちばさんは、家を震災の遺構にしたいわけでもないし、完全に改装してパブリックスペースにしたいわけでもない。自分も住みながら、仲間とシェアできる空間に作り替えていきたいようだ。「ほんの少し未来を感じさせるシーンを作れたら」と相談したら、友人を呼んでくれて撮影に協力してもらうことになった。震災がきっかけでボランティアとして石巻に移住してきたさこさんはすでにこの家に来たことがあり、ちばさんとふたりで室内を眺めながら「よく耐えてるね」「がんばってる」と、家を擬人化して労うように話しかける。それにちばさんが嬉しそうに応じる。日常のふとした場面にも共視はある。おんぶする親と子、バーでカウンターに座る親友同士、共に過去を思い出すとき、なにかを創造するとき、並び見ることでまなざしが重なり、私だけの記憶が私たちの記憶になり、誰かの経験を自分にもそれが起きたかのように感じる。会話の声はふたりでひとつのモノローグを編んでいるみたいだった。
撮影がすべて終わったことを伝えた。
ちばさんから、撮影があってよかった、と言われた。
2019年ごろに家が傷んでいることに気付いた彼女は「なんとかしなきゃ」と思うようになり、最初は震災前の姿に戻さなきゃと思い込んでいたが、それではまだ意識が過去に向いたままだと気付いた。そこから徐々に「家をどうしたい?」と自問するようになり、ようやく未来に目を向けるようになったという。
喪失を乗り越えるんじゃなくて
受け入れたかったのかもしれないなって
多くの人が被災した家の解体を選んだとき、ちばさんはそうしなかった。彼女は「忘れる」ことを選ばずに、家と共にうずくまって、うずくまったまま震災以前から連なる自分の時間を守ろうとしたのかもしれない。その内なる時間の懐に喪失を受け入れるのに11年と半年を要した。
意を決して家の整理をはじめた彼女は、おばあちゃんの衣服や遺された物を捨てるために写真を撮った。記録に残せば捨てられるだろうと考えたが、それでもわずかしか捨てられなかった。
そんなときに僕はこの家に入り、映像で、この家を覚えた。
あたりまえのように生活を流れている「確かにこの人が生きている」という鮮やかな感触すらもそれを共有する他者や物がいなくなれば、ぼんやりと霞んで消えていってしまう。誰だってひとりでは自分のことすら覚えていられないから、誰かの代わりになにかを覚える記憶の方法を人はずっと切望してきたのかもしれない。
〈第1話|家は生きていく|石巻 了〉
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|人に潜る|松井至|
|第1話|家は生きていく|石巻|①|②|③+映像|
|第2話|近くて遠い海へ|いわき|①|②|③+映像|
|第3話|人はなぜ踊るのか|川崎市登戸+映像|
|第4話|ゆびわのはなし|奈良|①|②|③+映像|
|第5話|いのちの被膜|京都|①|②|③+映像|
|第6話|握手|
|第7話|「いのちの被膜」をめぐる対話|京都|前編|中編|後編|
|第8話|田んぼに還る|西会津|①|②|③|④|⑤|⑥|⑦|
松井至[まついいたる]
1984年生まれ。人と世界と映像の関係を模索している。
耳の聴こえない親を持つ、聴こえる子どもたちが音のない世界と聴こえる世界のあいだで居場所を探す映画『私だけ聴こえる』が公開され、海外の映画祭や全国40館のミニシアターで上映され反響を呼んだ。令和4年度文化庁映画賞文化記録映画大賞受賞。
誰からでも依頼を受けるドキュメンタリーの個人商店〈いまを覚える〉を開店。
日本各地の職人と自然との交わりをアニミズム的に描いた〈職人シリーズ〉を展開。
コロナ禍をきっかけに、行動を促すメディア〈ドキュミーム〉を立ち上げる。
無名の人たちが知られざる物語を語る映像祭〈ドキュメメント〉を主催。
仕事の依頼などは 【こちら】まで。