草日誌

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2023年8月19日

人に潜る 第5話
いのちの被膜|京都 ①


 
 
 

⽇頃わずらわしく思っていたWEB広告が、なぜか⽬の⽚隅に残って履歴をひとつ戻る。⾒覚えのあるものがヤフオクで売りに出されていた。それはどの家にもあり、暗黙の内に〈売ってはいけない〉という了解がなされたはずのものだった。

オークション>アンティーク、コレクション>印刷物>その他
[古写真 ⼤量 戦前明治⼤正 蔵出し 家族写真]
[現在1200円]
[⼊札]

レンズの向こうから、上裸で河原に遊ぶ少年たち、⽥畑に座り込んで笑う農作業姿の⼥たち、出兵前の思い詰めた顔の⻘年、結婚式に正装で集う親族⼀同、⽊造の校舎の前に並ぶ着物姿の⼥学⽣、庭⽊の横に⽴つ⽼婆、⾸が座ってすぐの⾚⼦がこちらを⾒ている。

これらの写真は家庭にあるべきものだった。
いつでもそこに戻ってきて⾃らの魂と向き合える家庭という場所を忘れずにおくためにこれらの写真は撮られたのではなかったか。
⼀枚⼀枚が貴重だった時代の初⼼な顔。その美しさは⾝近な誰かのまなざしが⾃分に注がれたこと、⾃分のまなざしが⾝近な誰かに注がれていたことの証だった。
それが売りに出されていることに忍びない感情が湧くと同時に⼝の中に苦味が広がって、すぐ答えが出た。
⾒ることと⾒られることの終わりが来たのだ。

地⽅の集落が⼈知れず消滅して次第に誰の記憶からも消えてしまうように、レンズの前で笑っていた⺟が亡くなり、それを撮った⽗が亡くなり、⾸の座ったばかりの⾚⼦だった⼦が亡くなり、その⼦孫は家からも地域からも離れて、そこに家庭があったことを懐かしむ⼈が誰もいなくなったとき、空き家の解体に伴ってこれらの写真は⾒つかり、ヤフオクで

[アンティーク、コレクション>印刷物>その他]

に分類されて、⾒ず知らずの誰かに売りに出された。そんな来歴を想像するのはあながち間違えでもないだろう。

[あなたが現在の最⾼額⼊札者です]

誰も買わなければ燃やされるかもしれない。
買ったならば、⾃分の⼈⽣とまったく関係のないとある家庭の先祖を、ぼくは部屋に迎え⼊れることになる。彼らからしたら写真を引きとるぼくの行動は奇妙に見えるかもしれない。
「もったいない」とか「かわいそう」だとかでなく、ただ写真の向こうの彼らを⾒ることと写真の向こうから彼らに⾒られることの円環が永久に消えてしまうのをもう少し引き伸ばしたい気がして、反射的に落札した。

[出品地域:新潟]

わからない。彼らは燃やされたかったのかもしれない。

 

 
 
|人に潜る|いのちの被膜|京都 (9月2日更新)につづく

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|第2話|近くて遠い海へ|いわき|③+映像
|第3話|人はなぜ踊るのか|川崎市登戸+映像
|第4話|ゆびわのはなし|奈良|③+映像
|第5話|いのちの被膜|京都|

松井至[まついいたる]
1984年生まれ。人と世界と映像の関係を模索している。
耳の聴こえない親を持つ、聴こえる子どもたちが音のない世界と聴こえる世界のあいだで居場所を探す映画『私だけ聴こえる』が公開され、海外の映画祭や全国40館のミニシアターで上映され反響を呼んだ。令和4年度文化庁映画賞文化記録映画大賞受賞。
誰からでも依頼を受けるドキュメンタリーの個人商店〈いまを覚える〉を開店。
日本各地の職人と自然との交わりをアニミズム的に描いた〈職人シリーズ〉を展開。
コロナ禍をきっかけに、行動を促すメディア〈ドキュミーム〉を立ち上げる。
無名の人たちが知られざる物語を語る映像祭〈ドキュメメント〉を主催。
仕事の依頼などは 【こちら】まで。

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