草日誌

草日誌

2024年8月31日

人に潜る 第8話
田んぼに還る|西会津 ⑤

【 今がとっても幸せ 】

思わぬところで思わぬ声と出会い、はじめて自分がなにを聴きたかったのかわかる。

なして俺んとこさ、来ねえのよ!
いつ来んだか? 明日か?
福島屋にいるから、いつでも来てください。

こんなふうに誘われた。
五十嵐茂子さん(74)とは山道で会った。
ぼくらが奥川を撮影に来ていることを若い人から聞いていて、あちらから声をかけてくれた。ただ互いに面白そうだからというだけでまた会うことになった。福島屋の裏小屋は調理場になっていて、茂子さんはいつもお惣菜を作っている。訪れた時は宴会用なのか大量の唐揚げを揚げていた。

俺は奥川の人なら全員知ってんな。
俺のこと知らねえ人もいねえべしな。

山で会った時は自信満々で今にも取材に応じる雰囲気だったが、再会するとやけに照れていた。他の地区からも注文が入るという人気の唐揚げを「はい!」と差し出され、慌ててほおばりながらカメラを回す。醤油味が濃くて、うまいうまい、と食べていると親戚の家にいるみたいに打ち解けてきた。

玉ねぎ切ってっとこ、そんな撮らねくていい!
顔も撮らねくていいから。皺があっから! あはは!
後で編集できんだべ?

バーモンドカレーのルーを砕いていく。
義平さんのところで結(稲刈り)をするために都会からやってきた若い人たちの夕食を作りはじめた。

――集まりとか今はあんまりないんですかね?

あんまねえな。
昔はマラソン大会とかあったけどもな。
何百人分かの食事作ったな。

俯きながら野菜を切る茂子さんの正面に立ち、その瞼にピントを合わせる。
肩の曲線がぼやけて顔の皺だけが克明に浮かび上がった瞬間、ピントは薄い被膜となって膨大な時間を含んだ。自分がその被膜そのものになって、茂子さんの過ごした歳月を一挙に受けとっているような気がした。ずっとそうしていたかったが、すぐにただのピントに戻ってしまった。


 

――いろんな人が集まるの好きなんだ。

嫌いならやんねえべしな。
寂しいのが嫌なんだべ。
 
でも私は集めて喜んでる。
いろんな友達いて
いろんな人と遊びに行ったり
そういう楽しみがいっぱい。
 
もうこれ以上の幸せいらないと思ってる。
死ぬまで。
だって本当だよ。
今がとっても幸せ。
これ以上の幸せいらねえよ。
 
……という人もいんだず。ここにな。

このときはじめて自分がなにを聴きたかったのかわかった。
それは「地方消滅」や「限界集落」という強い言葉に覆い隠されてしまう、ささやかな真実だった。
 
誰かの顔を思い浮かべて料理を作る。
好きな人たちと満ち足りて笑う。
たまにふと寂しくなる。
そういう人がここに暮らす。
 
 
【 未来の集落 】

囲炉裏のまわりに座った岩橋義平さんがiPadを開いて若い人たちの写真をスクロールしては嬉しそうに言う。

誰も今までここに若い人たちは来なかった。
若い人ってのは、みんな出ていくもんだった。
それが都会からわざわざこんな田舎に来て、田んぼさ入って、集落の水路まで掃除して泥だらけになってんだから!
わかんねえです。

わざわざこんな田舎ヽヽヽヽヽに来る人々に何が起きているか、心当たりがあった。

都心の集合住宅に生まれ育った人の「故郷」について語られる機会は、ほぼない。十代半ばの頃、家で開かれた酒宴の席で地方出身の方の大きな声が聞こえた。「どこへ行っても〇〇集落の〇〇の家の〇〇ちゃんと言われるの! それが俺はたまらなく嫌だったんだよ!」。その場で大いに賛同を得ていたこの一節から知れたことは多かった。ぼくには住んでいる場所や家の属性が無く、あってもそれは生活する上でほとんど意味がないこと。そもそもそんなふうに幼少の頃から自分を知っている大人たちが集まる地域というものが無いこと。自分の故郷に対して愛憎を持って、そこから出たり、また帰ったりできる人たちがいること。酔った大人の口から普段は標準語の下に隠している方言が出てくるとき、その流れるような抑揚とリズムをほとんど嫉妬に近い感情で眺めた。方言はその話者にとって親しい他者とのつながりの中で生まれ、その話者の身体をただ通り抜けていくような響き方をしていて、標準語という自分の母語は、どこか拠り所のない、身体とつながっていない言語に思えてしまうのだった。
東京に出て見渡す限り人でいっぱいの雑踏に紛れ込んで、属性のわからない匿名の誰かになることはたしかに魅力だと思う。だが、東京に生まれ育つとずっと属性のわからない匿名の誰かであることを強いられている気さえしてくる。マンションの隣人が自死していたことをだいぶ経ってから知ったり、幼少の頃に遊んだ空き地にびっしりと建売住宅が建ったり、買い食いした古い商店街がチェーン店だらけになる中で育った。見慣れた街が見知らぬ街になっていき、昨日まで親しかった人が他人になっていく、だからここから脱出しなければおかしくなってしまう、という夢をたまに見る。
生まれ育った地域に愛着を持ち続けることがぼくにはできなかった。
あらゆる文化的栄養を存分に摂取できる環境にどっぷりと浸っているはずなのに飢えていた。書物も音楽も美術も映画もすでに誰かの手によって形に置き換えられたものであることがいつからか堪え難くなった。都市という概念の集合体の中であらゆる人為に白けた。ある日、スーパーに並ぶ肉を見て「自分だ」と思った。誕生からも死からも切り離されていた。

これでは生きたことにならない

どこからかやってきてそう耳打ちする声が大きくなり、やがて呑みこまれた。なんでもある都会ヽヽヽヽヽヽヽヽというイメージとは真逆に、欠乏から人生をはじめるほかなかった。それまでの自分を死んで生まれ直す場所を探した。
地方に生まれ都会へ向かう流れに逆行し、地方に移り住んだ。
だから、こんな田舎ヽヽヽヽヽに行く理由がわかる。

秋晴れの日、義平さんの田んぼに東京や仙台から十数人の若い人たちが集まっていた。初めて来るという人もいたが、多くは二度目、三度目、中には親戚以上の付き合いをしているという人もいた。

そうでねえ、そうでねえ! たがくの(抱え持つの)!

集落のおばあちゃんたちが鎌の持ち方を教える声、ザクザクと稲穂を刈る音、大きな笑い声があちこちから響いてくる。
生き物としての自分の体のどこかに飢えを募らせて農村に一歩踏み入れる。この土地の者ではない自分がここにいていいのだろうかと戸惑う。そんな時に〈結〉はとても重要な働きをする。居合わせた人たちと体を動かし、汗をかき、生活のための労働を教わっていると世代の違いや持っている言葉の違いなどどうでもよくなっていく。隔たりも遠慮も消えていく。ここにいていいんだとわかる。

季節毎に奥川に顔を出すという大学生から話を聞いた。

神奈川生まれでこれといった田舎を持っていなかったので、憧れていたというのもありますね。
はじめですか? まず夜が暗いのにめっちゃ驚きました。夜に奥川に着いて車を停めてエンジン切ってみたんですけど、動物の鳴き声とかするし。うわ、人の手が入らないってこういうことなのかなって。
義平さんとか集落の人たち、はじめて会ったのに飯食わしてくれるんですよね。次に行った時も「また来たか!」って言ってくれるんで。それが嬉しいというか。
それを繰り返してると東京に居ても「なんかあったら西会津に行けばいいや」ってなってる。
あっ、俺、死なないなっていうか。
東京で満たされないところが西会津で満たされる。
自分の存在を認めてくれる擬似家族みたいな。

飯食ってけ、また来たか、義平さんはそうやって「ここにいていいよ」と伝える。迎え入れられた人が次の誰かを誘い込む。都市と地方の分断が極端に進んだこの時代に一枚の田んぼが生きることの修復を試みる場となる。労働なのか遊びなのかも区別のつかない、新しい〈結〉の形。
トンボでいっぱいの空の下、畦に腰掛けておにぎりをほおばる彼らを撮ったら家族のようだった。


奥川に住んでいる人たちが
孫と接するような感じでいますので
一緒に住んでいなくても
田植えの時期に「来たよ」
お盆だから顔見に来た
正月だからちょっと雪片付けに来たよ
それがずっとこの集落が続いていくことなのかな

 
義平さんは集落の消滅を口にすると同時に実現可能な存続の道を探す。
自分の死後、未来の集落には誰がいるのか。
義平さんの目にはおそらく、非血縁者の家族が見えている。
故郷を持たない人が奥川へやってきて故郷の消滅を覚悟した人と出会い、孫や祖父母となっていずれ子孫や先祖になる。血縁や地縁のくくりをとっぱらって新しい縁を呼び入れる。先祖がいまどんな顔でこの風景を眺めているか、義平さんにはわかるに違いなかった。

 
 
〈第8話|田んぼに還る|西会津 ⑥ につづく〉
 
 
 
|人に潜る|松井至|
|第1話|家は生きていく|石巻|③+映像
|第2話|近くて遠い海へ|いわき|③+映像
|第3話|人はなぜ踊るのか|川崎市登戸+映像
|第4話|ゆびわのはなし|奈良|③+映像
|第5話|いのちの被膜|京都|③+映像
|第6話|握手
|第7話|「いのちの被膜」をめぐる対話|京都|前編中編後編
|第8話|田んぼに還る|西会津|

松井至[まついいたる]
1984年生まれ。人と世界と映像の関係を模索している。
耳の聴こえない親を持つ、聴こえる子どもたちが音のない世界と聴こえる世界のあいだで居場所を探す映画『私だけ聴こえる』が公開され、海外の映画祭や全国40館のミニシアターで上映され反響を呼んだ。令和4年度文化庁映画賞文化記録映画大賞受賞。
誰からでも依頼を受けるドキュメンタリーの個人商店〈いまを覚える〉を開店。
日本各地の職人と自然との交わりをアニミズム的に描いた〈職人シリーズ〉を展開。
コロナ禍をきっかけに、行動を促すメディア〈ドキュミーム〉を立ち上げる。
無名の人たちが知られざる物語を語る映像祭〈ドキュメメント〉を主催。
仕事の依頼などは 【こちら】まで。

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