草日誌

草日誌

2025年2月8日

人に潜る 第10話
うたうかなた|前橋②

【 3 雲をつかむ 】

うわー……どこ見て……
松井さんを見て話してる感じでいいんですか?

茶色い天然パーマの頭髪にTシャツとデニムの出立ちの男が照れくさそうに座る。
背景の壁には色鮮やかな絵が数枚、机には作りかけの立体が散らばっていた。
麦わら屋の代表の小野介也さん(45)のインタビューをはじめるところだった。
録画ボタンを押しにいく指がふと止まる。
なにかがおかしい。
あたりまえのことだが、画面中央に小野さんの姿が映っている。
でもそこに誰もいないような気がする。

あれ? ……ちょっと待ってくださいね。

カメラ位置を整える。少し画角を詰めて人体を際立てる。
まだ写らない。

――ここに視線をくれますか?

人差し指で自分の眼の少し下を指す。
「はい」と答えた小野さんがこちらを見る。
通常ならほんの少し押し返すようにやってくる視線の圧が無い。
人の自意識の発する最小の圧が、彼とぼくの間の一本の直線上を走っていない。
雲を見ているようだった。
何百人もインタビューをしてきてこんなことは初めてだった。
かたつむりが進むようにゆっくりと優しいトーンで小野さんは話しはじめた。

――事業所をはじめたきっかけはなんだったんですか?

きっかけ。ああ。そんないい理由もなく。
就職を探していて子どものいるところで働きたいなって。
学童でアルバイトしていた経験があったので、子どもの福祉関係の求人を見に行ったら〈障がい〉という項目があったんですね。「そこもちょっと見学させてください」と言ったら、もうそこで面接になって。で、働くことになったんですけど。そんな感じなんですね。そんな重い理由もなくやったのがきっかけですかね。

――学童ではどんなふうに子どもと関わっていたんですか?

受け身……でしたね。「やろう」って言われてついて行くような。
鬼ごっこやろうとか、隠れんぼやろうとか、滑り台やろうとか。「公園行きたい」って言ったら「じゃあみんなで行こう」とか。あんま自分から「これやろう」とか、なかったですね。

――じゃあ、子どもたちに主導権がある?

そうですね。そう言われるとそうですね(笑)。

――障がいを持った人たちと毎日接する世界にいくっていうことは大きな決断だったんですか?

あ、もうすんなり「合ってるな」って思いましたね。学生時代から満員電車とか嫌いで……サラリーマンは嫌だなと思っていたので。違和感は何もなかったかもしれないですね。利用者に対して最初は「このひとは障がいがあってここにいるんだな」くらいは思っていたかもしれないですけど。そんなに……はい。
でも、自分は合ってますね。ここじゃないと働けないかもしれないですね。他の会社で働いていたらつまんないんじゃないかなーと。

――いまの仕事のどのあたりが合ってるんですか?

なんか自然で……対人関係の疲れがないかなあと。相手を見下しているわけじゃないですけど。気をつかわないでいられる。利用者さんも「なんかしてやろう」というのがないから、そのまんま自然でいるからこっちも構えないで話す。普段、休み時間なんか話してると「あ、楽だなあ」って。
ここ、いいと思います(笑)。
いいキャラがいっぱいいて。障がいを持っているとか、その障がいじゃなく、やっぱ面白い人はその人が面白いじゃないですか。
細かく口で説明できないですけど。楽しいんですよね。
難しいですね。自分は元々、口下手というか。言葉にできないというか。うまいこと言えないというか。言おうと思っても言えないっていう(笑)。

――自分が言ったことが相手はわからないとか、「こうしてください」って言ったことが通用しないとか。一般にはあたりまえのことが伝わらなかったりするじゃないですか。そういうストレスは感じないのですか?

「叫んじゃったりする」っていう捉え方もあるけど、その人を見れば「叫ぶ人だ」という。障がいとは関係なしで、その人をだんだん知っていくというか。なんとかさんという人を見て「その人だ」と思えば、ああいいなあと。ここがもう自分にとって普通になっているので、そっち側(社会一般)は忘れちゃってるかもしれないです。「できる」っていうのが当たり前という感覚の方をもう忘れちゃってるかもですね。

――大学では何を学んでいたんですか?

文学部の哲学でしたね。もう覚えてないですけど、そんなに勉強熱心ではなかったです。

――なぜ哲学に行こうと?

「人はなんのために働いているのかな」とか。そういうこと考えた時に、直接誰かのためになったって実感できることが一番充実するのかなあと。ボランティアとかでも、ボランティアしている人自身がすごい充実していて、自分が癒されているんじゃないかとか。そういうことを考えていて、哲学の方に行った気がします。

――他者のために動いているときに……

はい。一番、充実するのかなと。今やっている仕事を思うとそうですね。なんか、自分のためだとだらけちゃうというか。

――哲学の何が面白かったんですか?

「誰かのために生きる」っていうのを授業で聞いたのか、本で読んだのかな。忘れちゃったんですけど……それが人間の生きている意味だというのを見た時に「それかな」と。「生きているというのは意味があってそこにいることだ」っていう。

……こないだの障がい……植松容疑者……あの神奈川の。19人殺して。
「生きている価値ない」ということで殺しちゃって。
そういう話を聞くと……ああ、あっていたな、と。

とらえどころのない長閑なインタビューが終わる。強く刺さるような言葉がない。
そのことに逆に好奇心を駆り立てられる。
考えを言語化することがこの社会の基本であり、新しい組織の代表を務める人は抜きん出た言語化能力があると思い込んでいたが、小野さんは例外だ。
言葉になにひとつ託していない。

雲を見ているようだ。
雲は絶え間なく隅々まで動いていて、気が付くと消える。
ほとんど言語化不可能な撮影をはじめてしまったことに気付いて汗が噴き出す。
誰もが知るように雲をつかむことはできない。
 
 
 
 
【 4 なんとか曜日 】

でっかい迷路を作ろうと思って

と小野さんが言うので「どこにですか?」と尋ねると、こう返事が来た。

あっちにいい感じの草むらがあるんですよ

恐ろしく暑い日だった。
背の高い叢を小野さんが大きな草刈り機を押して刈ると溜まっていた湿気が立ち昇る。険しい顔でクネクネと迷路の道を作る。見渡す限り彼一人だ。
「地域の子どもたちに麦わら屋に来てほしいんです」と言う。
ならどうしてこんな空き地に巨大迷路を作っているのか。彼は説明せず、至って真剣に、何もないところから何か生み出そうとしていた。

飽きっぽかったり、多動なのかなあと。
あんまりずっと……ひとつを極めることがなくて。
いろいろ手を出して……ちょっとやって「あ、できた」というのが好きなのかもしれないです。そっからもっと極めて「上に行こう」っていうのが……ぼくには……ないんですかね?

麦わら屋に通う人たちと草刈り部隊を組んで古墳や河原をはじめ依頼があれば個人宅の庭にも駆けつける。大きなビニールハウスを建ててメダカを飼育し、産卵した卵をネットオークションで販売する。事務所内の小さな醸造所で味噌や塩麹を作り、それらに豚肉を漬けた冷凍食品を開発する。ニンニク・ねぎ・ブルーベリーを育てて売る。アトリエで描かれた絵をプリントしてTシャツやカバンなどのグッズを作る。そのどれもが前橋駅や高崎駅の物産コーナー、道の駅に置かれて人気を博している。
選択肢を増やすことで麦わら屋の日々は活気付く。生きものが好きな人はメダカや農業を。外で動きたければ草刈りに。器用な人は食品加工や内職に没頭できる。どれかひとつではなく、その日の気分で仕事を選ぶ。
小野さんがどんどん道を作っていく。
そこへ仲間たちがやってきて道を整える。
炎天下でふらふらになりながら迷路を作る……そんな自分たちがおかしくて笑い出す。小野さんがはじめることは遊びなのか仕事なのか区別がつかなくて、いつのまにか全部が遊びになっていく。

巨大迷路に子どもたちがやってきた。
走り回って、トンボを追いかけ、あちこちに置いてある缶からを開けてスタンプを集めていく。それを持って麦わら屋で景品のお菓子と交換する。その場でお菓子を食べながらゲームをする。そこは麦わら屋に通う人たちが内職をする部屋で、子どもたちが加わると大きな家の居間に見えてくる。

地域の人が麦わら屋にくる目的を作りたいなと。
迷路で遊んで景品と交換できるイベントにすれば麦わら屋に来る。「こういう場所がある」と子どもの時に知ってもらえる。
ここで「障がいのある世界と接すると、めちゃめちゃ楽しいよ」と感じられるようにしたいなと。鬱だとか、孤独だとか、悩んでいる人とか困っていることも、ここなら解決できることがたくさんあるような気がするので。

麦わら屋は地域でやらなくなった行事を自分たちで復活させる。
流しソーメンをやり、夏祭りをやり、餅つきをやる。障がいの有無に関わらず、ひとりひとりができることをする。「店番をする」と張り切っていたのに、他の店の前でかき氷を食べている人もいれば、ホースリールからホースをすべて引き出してまた巻き取っている人もいる。子どもたちに箸を配る人もいれば、子どもたちのお菓子を羨ましそうに睨む人もいる。



地域の人たちが次から次へとやってきて、混ざっていく。
障がいも健常も特殊も普通も無くなっていく。
こうした風景を作ることが小野さんの仕事で、その仕事にはまだ名前がついていない。

時計は見ないですね。
ファミレスでバイトしてる時って「あと30分か」とか、
授業受けてても「あと1時間か」とか、あるんですけど。
そういう時計の見方しないんで。
「もうこんな時間だ」「もう一日ほしいな」とか。
水曜と木曜の間に〈なんとか曜日〉があればいいなって。

その頃、おなじ夢を繰り返し見た。

暗い夜に草で出来た巨大迷路を彷徨っている。
あちこちから歌や奇声や笑い声が聞こえてくる。
声はちぐはぐに響き、誰ひとりまわりと合わせようとはしない。
出口は無く、不安が募る。
次第にその声を聞き慣れてくると不思議な安堵に包まれる。
自分の胸の奥にも声のようなものがあるのに気付く。忽然とそれを張り上げて迷路のあちこちにいる声の主たちに投げかける。
意味不明な声を出した自分に驚く。
歌い返したかったのだ。居ても立っても居られないほどに。
そして誰かに歌い返して欲しかった。
 
 
〈第10話|うたうかなた|前橋③〉につづく
 

映像『麦わら屋の仕事』

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|第10話|うたうかなた|前橋|

松井至[まついいたる]
1984年生まれ。人と世界と映像の関係を模索している。
耳の聴こえない親を持つ、聴こえる子どもたちが音のない世界と聴こえる世界のあいだで居場所を探す映画『私だけ聴こえる』が公開され、海外の映画祭や全国40館のミニシアターで上映され反響を呼んだ。令和4年度文化庁映画賞文化記録映画大賞受賞。
誰からでも依頼を受けるドキュメンタリーの個人商店〈いまを覚える〉を開店。
日本各地の職人と自然との交わりをアニミズム的に描いた〈職人シリーズ〉を展開。
コロナ禍をきっかけに、行動を促すメディア〈ドキュミーム〉を立ち上げる。
無名の人たちが知られざる物語を語る映像祭〈ドキュメメント〉を主催。
仕事の依頼などは 【こちら】まで。

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