草日誌

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2025年2月22日

人に潜る 第10話
うたうかなた|前橋③

【 5 跳躍 】

アトリエのある倉庫の入口に立つたびに暗闇からこちらに向かって走ってきて、ものすごい脚力で飛び跳ねる男を見る。頭を振り、手を叩き、単語を叫ぶ。激しい風が吹き過ぎるように赤井俊太さん(25)とすれ違う。忽然と身体の力が抜け、萎むように動きが小振りになると自分の席に戻っていく。
その跳躍は足首を捻挫するほどの全力で、だからなのか、眺めていると思いもよらない感情が湧いてくるのだった。
「今日はまた一段と高く跳んでいるな」という時の跳躍は見ている者を無条件に励ますものがあったし、それは例えて言えば満面の笑みのように無邪気で、突き抜けた青空のように人の心を清々しくさせる効果があった。
思い詰めた面持ちで飛んでいる時は彼自身が自分を縛り付ける何かから逃れようともがいているように思えた。跳躍の最中の横顔が風を受けて勇ましい時は見えないものと闘っているようでもあった。
宙に浮かぶ姿が目に焼き付き、その形が文字のような残像を残す。
弾ける喜び、あるいは募る不安がそこには醸し出されていた。ある時などはあまりにおとなしく低く飛んでいるので麦わら屋の職員たちと「もう大人になったのかな」と噂をしたこともあったが、すぐにまた全力の跳躍に戻るのだった。強く踏み込んで飛翔し、着地する足音が妙な儚さを感じさせた。彼にとって跳躍は「しなければならない真摯な行為」であり、それに対して誰もがある種の敬意を払っていた。
ある有名な自閉症の当事者が書いていた「自分の意志とは無関係に体が勝手に飛び跳ねてしまう」というのともまた違い、なにか文字になる以前の意味のある形を体現しているような、感情になる以前のニュアンスをジェスチャーしているような、あるいはあらゆる意識の網から脱することに賭けているような猛烈な速度の跳躍だった。
だから誰も止めなかったのだろうし、止めるべきではないと思わせた。
それを障がいと見るか、いつもの赤井さんと見るか、うつろう気象のように見るか。
どう見るかはいつもこちらに委ねられていた。

跳躍を終えて着席してからの赤井さんの動きは非常に正確で、全てがあらかじめ決められているかのようだった。迷いなく色鉛筆を選び、紙の真上に顔を持ってくると充分に力を込めた指で輪郭線を描きはじめる。
ライオン、クジラ、ワニ、羊、何十何百枚と繰り返し描かれてきた動物のシリーズ。
戦車、ヘリコプター、銃器の描かれた自衛隊シリーズ。
それぞれに二次元の線にデフォルメされ、赤井さんの手からなんの躊躇もなく産み出されていく。簡潔でポップで親しみやすく、何度描いても同じマークのような絵。
たまに質問をすると単語で答えが返ってくる。

――絵を描くのは好きですか?

好き好き好き

あっという間に一枚完成させると唐突に立ち上がり、アトリエのドアを開けて倉庫の暗闇に出ていく。
壁越しにちいさく跳躍の足音が聞こえる。

俊太が生まれたとき、もうすごく感動しました。
ずっと楽しみで「絶対この子を幸せにするぞ」と思いました。

赤井さんのお母さんに話を聞く。

一歳半検診の時に発達の方で引っかかって。
「お母さんの語りかけが少ないから言葉に反応しない」って言われて。そういう時代だったんですけど。
それで毎晩一時間半くらい読み聞かせをして。
それも物語の本だと、わーとか泣いちゃったりして。
闇雲に家にある本を読んでみて、そしたら折り紙の本にすごく興味を示して。物語じゃない、例えば「つる」って書いてあって鶴の折り紙があって、次のページを見ると「あさがお」って書いてあって朝顔の写真が載っていて。
モノがあって、名前がある。
モノがあって、名前がある。
とにかく寝かせて自分も寝たい。
寝る本が折り紙だった。
大きくなってからは図鑑を見るようになりました。

ちょうど2歳を過ぎた頃に小児科で「広汎性発達障害です」と言われて、「おそらく自閉症だと思う」と。それで近くの本屋さんに売ってる自閉症の本を一冊買って読んだら、一生養護学校に進んで施設に行くんだっていう流れが書いてあって、すごいショックでしたね。「あ、この子、障がい者なんだ」みたいな。

とにかく、言葉がわからない。言葉がわからない。会話が通じないから、私に要求も言えないし、ただただひっくり返って泣いているだけで、今まではその状態が私にとって辛い辛いと思っていたんだけれど、俊太にとっては伝えられない辛さがここにある。「ああ、辛いのは自分じゃなくて息子なんだ」。
そういうふうに思ってきて。

発語は、よその子がおにぎりを食べていて、そういえばあまり見たことがなかったのかな、そこで「おにぎり」って発語がはじめて出たんですね。
当時「チェキ」っていうの(カメラ)があったんですけど、それを撮って。名詞を……例えば、これは「なになに先生」(写真を指して)今日はバスで行くから「幼稚園のバス」(写真を指して)とか、そういうことを続けていって。言葉は覚えているんだと思うんですけど、わかると思うんですけど、出すことができない。 

やっぱりあの、差別と偏見があったんだと思います。
自分の中で。

気がつかなかったですけど、今思うとすごくあったんだと思います。自分がそんな人間だと思わなかったんですけど、平凡な、本当に平凡な、と思った自分の人生が「ガードレールから落ちた」と思いました。本当に傲慢でしたね。
俊太が生まれるまで、あんまり良い人間じゃなかったなって思います。

いまはわからないということがすごい楽しい。
もちろんつらいです。わからなくてつらいし、わからなくて面白いし。やっぱつらいです。

どうして急に笑い出しているのかなとか。
「何が面白かったんだろう、今この瞬間」とか。
「もしかしたら10年前のこと思い出していたのかなあ」とか。
不思議な人だなあって。
でもそのわからない世界をすごく前向きに生きてるって、尊敬もします。自分の息子だけど。こういう世界を前向きに生きていくっていうのはすごいなって。

あのよく障がい者のお母さんとかが「この子を産んでよかったですか?」とか聞かれるじゃないですか。私は不思議なことに「産まなかったらよかった」と思うことは一度もないです。産まれた瞬間の幸せがすごいあるから。ただ、出生前診断?まあ発達障害はわからないですけど、そういうものができた社会だったら自分は産まなかったと思います。こんなに大変な生き方と、整備されていない福祉の中を、とてもじゃないけど……産み出せなかったと思います。

真夏のロケは振り返ってもほとんどなにも覚えていないところが好きで、さんざん動いて疲れ切った心身ひとつで長い1日の終わりを迎える。何も思い出せないのが気持ちいい。子どもの頃に貯めておいた無心の時間を今になって受けとっているような気がする。
なにかが撮れている。
だがそれがなんなのかわからない。
そうやって時間の許す限り麦わら屋に通った。
そのたびに跳躍する男を見た。
 
 
 
 
【 6 他者を生きる 】

麦わら屋に関わる人たちが異口同音に、それも笑いを交えながら言う一節があった。

誰が障がいのある利用者なのか、職員なのかわからなかった。

ぼくもそうだった。
夏のあいだ通って気付いたのは、この組織にはマニュアルがない、ということだ。職員が指示を出したり、それに従ったりしている姿を見たことがない。職員と利用者の間でも職員同士でも相手をジャッジメントする言葉がない。それどころか規範となる物差しがないのでどんな行動が良いのか、あるいは良くないのかといった判断は丸ごと個々人に委ねられている。

麦わら屋で働きはじめたばかりの職員が何の指示もマニュアルもないことを不安に思って、小野さんに「〇〇さん(利用者)については何を気をつければいいですか?」と尋ねたところ、

え、なんで気をつけるんでしたっけ……?

と、逆に驚かれたという。
ぼくも尋ねたことがあった。

利用者それぞれの障がい特性を詳しく把握しているのですか?

こんなふうに返ってきた。

以前は履歴書にある診断結果に目を通して調べたりしましたけど、
ひとりの人間に向き合うことに変わりはないので、
意味を感じなくなって止めました。

小野さんは障がいについての言葉を増やさなかった。
ただ「ひとりの人間に向き合う」中に彼特有の技術が詰まっていた。
それは日々の挨拶にあらわれた。
利用者ひとりひとりに対して、それぞれ異なる挨拶をしていた。
お調子者には「どうですか!」と尋ね、無言の人には「今日何食べましたか」と小声で聞き、言葉が通じない人にも「今日のシャツなんかいいっすね」と笑いかける。お互いの名前を呼び合うだけで盛り上がるという、その二人にしかわからない付き合いはじめたばかりの恋人のような親密な挨拶もあった。

快活に返事をする人もいるが、半数以上は少しだけ微笑んだり、曖昧に頷いたり、全く動じない。そうした反応を小野さんはとても楽しんでいた。相手の間合いにスッと入り、声の音量やトーンを自在に変えて向き合う。相手が何を発しようとしているのかを待つ。

挨拶が挨拶にならない、自分が相手に認識されたかどうかもはっきりしない世界を言語化せずにそのまま受け入れる。それがなんであってもかまわない。あなたとわたしという異なる時間が接し合い、どんな仕方であれ存在を交わし合うことがただ楽しい。
だから小野さんが言葉で障がいについての何かを明瞭に語ることはないだろう。彼はいつも言葉が持つ分別の能力とは反対を向いて、分け隔てられてきたものの境をわからなくして初期化することを試みているのだから。
麦わら屋の人たちは本当によく笑う。
笑うことであなたとわたしを隔てているものが無化していく。ロケのたびに腹筋が痛くなるほど笑って、何に悩んでいたのかも忘れて帰路につく。
そういう経験をおそらくここに出入りする誰もがするのだろう。
そうやって麦わら屋は障がいをとりまく人々の居場所を作っていた。

もしかしたら多くの福祉サービス事業所がそうなのかもしれないが、朝、それぞれの利用者がそれぞれの家から異なるテンションでやってきて、チューニングが合わないまま演奏をはじめた楽隊のように不協和音を奏でる。送迎車が到着してみなが顔を合わせる時刻になると不穏な空気が流れ、前触れもなく諍いが起こることがあった。

ある朝、送迎の車が開いた途端に叫び声がした。
誰かが誰かを押したとかで喧嘩になり職員が間に入って一発殴られていた。
ある朝、誰かの態度が気に食わないとかで自分の持ち物を地面に投げて破壊する場面があった。
それも麦わら屋の日常だった。

その朝は子どもが駄々をこねるような声からはじまった。
カメラを向けると駐車場の車の前で泣き出しそうな顔をした利用者を囲んで女性職員3人が説得していた。

約束でしょ? 春田さん。
セレナが畑、ハイエース・ステップワゴンが生活介護。
とりあえず乗ろうよ!どっちに乗る?

ふああああああ!!!

じゃあ、お母さんに電話する?どっちがいい?

現場に行く車種の話をしているようだ。
彼は普段から車へのこだわりが強く、どの車を誰が運転してどこへ行くかによって乗るかどうかを決めていて、不調な時ほどそのこだわりが強くなる。

えええええああああああ!

叫び声がいっそう強まり、「いてててて」と声が上がる。
春田さんが職員の佐藤由美子さんの腕を思い切り握り締めているのが見える。いくら現場に慣れた職員でも痛みが走れば反射的に拒絶すると思っていたが、必死な形相の春田さんの傍で佐藤さんは楽しそうに笑っていた。
    

春田さんは予想したそのさらに上をくるんですよ。
「そうきたか!」 みたいなこともあって。
自分の未熟さを感じますよね。
「あ! そうかその手があったか」みたいなことを言ってくる。
いい言葉が浮かばないけど「楽しい」ですかね。
いろんなみんなが見れて。

特性の起こす摩擦を問題視して解決しようとするのではなく、ただただその特性の有り様を楽しんでいる。目の前にまだ見たことのない一面が現れると歓喜して迎える。その人から溢れ出る情動を分析して抑止するのではなく、気象のような自然として捉える。未知に巻き込まれて笑うことで他者に起きていることを自分も同時に生きる。自己を犠牲にして他者に尽くすという利他ではなく、もっと深く同化する受け身であること。その幸福をよく知る人がこの日常を楽しめるのだろう。

麦わら屋はとてもうまく回っているように見えた。こうした組織の中心にいる小野さんは依然として謎の人だった。どうにかして小野さんを撮りたいと考えあぐねてきたがふとそれ自体が不可能であることに気がついた。
彼は実は肉体を持っている個人ではなく、気体になって麦わら屋に通う人たちや職員たちのまわりを漂い、うっすらとあらゆるコトに溶け出している。そうやって「空気になること」が小野さんのリトルネロなのかもしれない。長谷川さんが歌うように。赤井さんが飛び跳ねるように。そうであれば、もう小野さんの姿形が映像に写らなくてもいい。彼があらゆる他者の内に、場面の内に生きていることが伝わればいい。これが実際に起きていることに最も近い構成になると思えた。

雲をつかむことはできないが、雲の時間と同化すれば、雲がどう動いているかわかるかもしれない。
 
 
 
 
【 7 道しるべ 】

 
アトリエのざわめきの中、その女性のまわりだけ静まりかえっていた。
彼女のするあらゆる所作においては一切の力が抜け切っていて、水の中で水圧を受けながら動くようにすべてがスローモーションだった。大雪の日に音が吸収されて静寂になるのに似て、彼女のまわりではあらゆる騒音が吸収されてどこかに消えていくようだった。
朝、職員に介助されながら車を降り、腰を屈めてすり足で倉庫に入り、靴箱に片手をかけると、その手で全身を支えながらもう片方の手で靴を脱ぐ。片方ずつ上履きに履き替え、上体を起こし、壁をつたってプレハブの中に入る。
落合菜津子さんの身体は、周囲の慌ただしい空気の流れに揺れ動かされながらもひっそりと直立している細長い茎の植物のようだ。
何かを掴む途中の形で止まった手がゆっくりと机を這うように伸びて色とりどりのボールペンを探り、持ち上げる。蓋をとる。持っていることも忘れてしまうような軽さの一本のペンが、彼女の手の上では鉛が詰まったようなずっしりとした重みを持つ。
息を大きく吸い、息を止める。
そして三つ編みの頭部が画用紙に覆いかぶさるように倒れ込んでくる。
一分間の長い一呼吸。瞬きもせずに落合さんは描き続ける。
爪ほどの大きさの無数のメダカ、無数の花、そして無数の蝋燭。
ひとつひとつ飽きることなく丁寧に描かれ、次第にびっしりと紙を埋めたおびただしい量の極小の図形が集合体となり、水のように流れてうねる。

撮影の前に「撮ってもいいですか」と尋ねた時、顎がわずかに上下したので承諾してくれたとわかった。彼女のまわりでは小さなものが大きくなり、大きなものが小さくなるという逆転が起こっていた。例えばアトリエのざわめきが小さくなり、落合さんの手から一本のペンが机に落ちる「コトリ。」という音が非常に大きくなった。描き込まれた極小のメダカや花や蝋燭が、浜辺の砂に残る波紋様になって大きな海の流れに接続していくように見えた。
朝来てから帰るまで、そうしなければならないかのように一心不乱に絵に向かう。

本当におとなしいっていう感じで。まったくおとなしい子。
そこに座れば座って、食事なんかも出せばいただくっていう感じで。
言いようがないんですよ、私の方も。
好き嫌いも無いんですよ。「あんまり」じゃなくて無いんです。
強いて言えばスパゲッティとハンバーグが好きくらいで。
食べる時に速度がちょっと早くなるっていう。

落合さんのお母さんに話を聞く。

まったく普通分娩で出てきたので、一ヶ月くらいは健常の子と思っていました。ちょっと首の座りが悪かったんですね。なんかおかしいなって。それで脳波の検査から全部してもらって。
「脳に異常がありますね」っていうことで。
「先天性体幹機能障害」っていうのを先生の方からはね。
抵抗はなかったですね。
私の中では「もうしょうがないな」って。
語弊があるかな。
あの子の笑顔。
笑顔ってやっぱり自然に出るものじゃないですか。
それがやっぱり唯一の救いだったんですよね。最高だなと思って。
笑顔。
評価できないじゃないですか、笑顔っていうのは。その人が持ち合わせているものが出るっていうことじゃないかなって思うんですけどね。

外に出て嫌な思いをしたことも当然ありますよ。
前の施設は特にそうだったんですけれど、ある限界が来ちゃった。精神がやられてしまったんですよね。それを機に辞めたんです。本人の中で我慢に我慢を重ねてきて、ああもうこれ以上は行けない、行けなくなってしまったんですよね。
3年間ね、家にいたんですよ。そこを辞めて。3年間。

今はね「なに?」って言うの。「なに?」「なに?」「なに?」って言うの。それはね、私たちに対して話しかけたいシグナル。「話をして」「こっちへ向いて」っていうシグナルではないのかな。私を見てほしいっていうことだと思います。ましておとなしい子だから「話しかけてほしい」っていうのが大いにあると思うんですよね。自分からはできないから「話しかけて」って。

〈蝋燭〉を描き始めて、ぼちぼち一年ですかね。
今よりは父親の体調がよかったですよね。
今は固形物を食べることができないです。
市の健康診断で数値が出て、病院に行ったら「もうガンですね」って。
8年前だから、もっている方ですよね。
24時間点滴の袋を下げての生活なんです。だからそういうふうになってきたから、やっぱりわかるじゃないですか。
当然、精神も不安定になってきて。
大好きなお父さんだから。

父親との会話で〈蝋燭〉が出たみたいですね。本人いわく。
「なっちゃん、どうして描き始めたの?」って聞いたら「お父さんから言われたから」。それだけなんですけれど。
うちは仏壇に蝋燭をあげるんですよ。毎日。
私も蝋燭っていうのは仏関係のイメージがあるから、最初聞いた時に「えぇなんで?」って思ったんですよ。
でもね、父親のこと(死期)とつながりがあるんですよ。
そう思います。

深く息を吸った落合さんの三つ編みの頭が画用紙の間近まで倒れ込む。
もう少しでカメラにぶつかるところだった。
もしぶつかっても彼女は手を止めなかったと思う。
その年の冬に落合さんの父は亡くなった。
夏のあの日、彼女は父が迷わずにあの世へ行くための道しるべとなる無数の蝋燭を灯し続けていた。 
 
 
 
 
〈第10話|うたうかなた|前橋④〉につづく
 

 
 
|人に潜る|松井至|
|第1話|家は生きていく|石巻|③+映像
|第2話|近くて遠い海へ|いわき|③+映像
|第3話|人はなぜ踊るのか|川崎市登戸+映像
|第4話|ゆびわのはなし|奈良|③+映像
|第5話|いのちの被膜|京都|③+映像
|第6話|握手
|第7話|「いのちの被膜」をめぐる対話|京都|前編中編後編
|第8話|田んぼに還る|西会津|
|第9話|光を読む|『私だけ聴こえる』|
|第10話|うたうかなた|前橋|

松井至[まついいたる]
1984年生まれ。人と世界と映像の関係を模索している。
耳の聴こえない親を持つ、聴こえる子どもたちが音のない世界と聴こえる世界のあいだで居場所を探す映画『私だけ聴こえる』が公開され、海外の映画祭や全国40館のミニシアターで上映され反響を呼んだ。令和4年度文化庁映画賞文化記録映画大賞受賞。
誰からでも依頼を受けるドキュメンタリーの個人商店〈いまを覚える〉を開店。
日本各地の職人と自然との交わりをアニミズム的に描いた〈職人シリーズ〉を展開。
コロナ禍をきっかけに、行動を促すメディア〈ドキュミーム〉を立ち上げる。
無名の人たちが知られざる物語を語る映像祭〈ドキュメメント〉を主催。
仕事の依頼などは 【こちら】まで。

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