2025年3月8日
【 8 血の肉の塊 】
15時の送迎の時間が過ぎて誰一人いなくなり静まり返ったアトリエの窓から夕陽が射すと、光の中で描きかけの絵やなにかの形になろうとしている途中の粘土が人目を盗んで動き出そうとしている予感がした。
そのままその場にそうして佇んでいたかった。
偶然ここに迷い込んで与えられた、なにか生命のようなものに触れる時間をできるだけ引き延ばしたかった。
夏の終わりの納涼祭で変化が訪れた。
森さんのお母さんとは何度か挨拶をしたことがあった。森さんが「ババア」と呼ぶと「ババアで悪かったわね」と切り返す、ざっくばらんとした小気味良い親子だった。
その日、撮影を終えて彼女と長い立ち話をした。
今日は雄祐も満足したかなあ。お菓子もいっぱいもらって。
あれ? まさかずっとランニングだったの? せっかくTシャツを着させてきたのに、どっかで脱いだってこと? ああもう! あのランニング姿で美術やるもんだから、山下清って。これまで何百回も言われたわよ。
雄祐は本当にここが好きなの。
もちろん嫌なことあったって家でもイライラしていたりはするんですよ。でも必ず来る。休まない。雄祐は小野さんと言い合いもするんです。すごいもんですよ。真剣に睨み合って。
あんなに対等に向き合う人はこれまでいなかった。
あの容姿だからね。子どもみたいでしょ。私と居酒屋行ってビール飲むんだけど「失礼ですが、本当に20歳を超えていますか?」って聞かれるのよ。本当に失礼よねえ。30超えているってのに。
前なんか、コンビニに入ってね。そりゃもう大変でしたよ。
雄祐はお金でモノを買うっていう概念がわからなかったから、欲しかったらもうモノを取ってきちゃうんです。全然、悪気はないの。
一度なんか、私がそれに気付かなくって。
コンビニの店長が出てきて怒り出して、いくら説明しても「親子で万引きしているんじゃないのか」って。失礼しちゃうわよね。
するわけないじゃないそんなこと。
おかしいのよ。その話を小野さんにしたことがあったんです。
そしたら「森さん、そのコンビニはどこですか!」って。
珍しく顔を赤くして怒ったんですよ、小野さん。
立ち上がって車に乗ろうとしてね。
「今すぐそのコンビニに怒鳴りつけに行きますから場所を教えてください!」って。もう何年も前にその店、潰れているのにねえ(笑)。
いつも笑っているからそんなふうに見えないでしょ?
もう居ても立ってもいられないという感じでね、本気で怒ったのよ。
ああ、こういう人なんだって。だから、その時、信頼したの。
大盛況だった納涼祭が終わりに近づいて、あたりが暗くなってきていた。
この日も森さんが食べるところをたくさん撮った。
焼きそばを食べ、かき氷を食べ、まわりの子どもの食べるフランクフルトを羨ましそうに眺め、輪投げを当てて両手に抱えきれないくらいのお菓子を抱えているところに「森さん、どしたのそれ!よかったね!」と小野さんが声をかけると嬉しそうに涙を流していた。「泣くほど嬉しいんですかね」と小野さんと目を合わせて笑った。
プラダ・ウィリー症候群の森さんはいつも食べることに無我夢中だった。
お母さんはそれを少し離れたところから見ていた。
冷蔵庫に鍵をかけて開かなくしているという。
簡単に触れてはいけない話だが、目を背けるのも違うと思った。
食べものを口に詰め込み、また次の食べものを探す。
目を瞑って味わい、あるいは飢えたように体に詰め込む。
「食べる」ことのもたらすあらゆる反応が過剰なまでに表れる彼の顔を見ずにはいられなかった。
ごくごく普通に出産で「痛い」と思って入院して。そこまではまったくもう毛ほども疑っていなかったんですけれども、産まれ落ちた瞬間は……。
なんなんだろう?
血の肉の塊みたいなのがあっただけ。
微動だにもしていなくて。
私はだから瞬間、レバーだと思った。
私は何を産んだんだろうって。
真っ赤っかで。ほとんど動かなくって。
本当に「骨があるの?」というくらいぐにゃぐにゃでしたから。
タコを抱いているっていう感じだったんです。
先生に「原因はなんの病気ですか?」って聞いても、先生もわかんなかったのよ。ちょっと咳をすると、筋肉が全然ない子ですから、胸が背中にくっついちゃうんじゃないかというくらい引っ込んじゃうんです。「ヒィ」って音がしたら即入院。
4歳くらいまで、退院してはまた入院、退院してはまた入院。
死にそうでしたから最初が一番どん底にいましたよね。
絶望? っていうか。
ちょっと汚い言い方ですけど「こんな子、いなくなっちゃえばいい」とか。「こんな子、死んじゃった方がいい」とか、言われてはいたんです。まわりの親戚とかもう「そんなんだったら死んじゃった方がいいじゃない」みたいな。当時、親戚とは一人ずつ付き合うのをやめていった。
子どもを持って、その子の死を望む親って基本的にはいないじゃないですか。まったくそれとおんなじ考え方です。なんとかこの子を育てていきたいって。それしかもうなかったですから。
1歳と364日であの子、ひとり立ちしたんです。
明日がお誕生日っていう日の前の日の夕方に「んーーー」って。
「何やってるの?」って言ったらば、ブワッて立ち上がったんです。
家中の、家族4人ですけども、感激したとかそういうレベルじゃなかったですよね。ほんとうに、自力で立てたっていうのがすごかったんです。「ああ、生きていけるのかも」って、思った瞬間じゃないかな。
あの光景はいまだに覚えていますから。
ほんとにこういうふうに(両手を前に出して)突っ張って、お尻を上げていって。ずっとみんなで見てたんですからね。その格好から手を離して、こうやって(両手をスッと上げる)立ち上がったんですから。
あの子ひとりの成長を見るだけで「人間ってこうやって、人類ってこうやって発達していくんだな」って思えるくらい。
人生を教えてくれる。
私は息子と社会の間の通訳になろうって決めたんです。
すっごく月並みな言い方ですけど、私のところに生まれて来てくれてありがとうって感じです。
選んだわけでもなんでもないでしょうけれども。
彼女の話が、耳の聴こえない親を持つ聴こえる子ども(コーダ)たちの話と重なっていった。異なる世界を行き来して他者を読み取ろうとする者はおのずと通訳者になる。障がいのまわりに名前のない通訳者たちの領域がある。
【 9 みんなしゃべれます 】
ふとロケのはじまりに小野さんが相模原障害者施設殺傷事件について触れたことを思い出して裁判の記事などを読んだとき、そこに自分が映像を通してしようとしていることが文字になっているのを発見した。
最初に被告と遭遇した職員は午前2時ごろ、園内の巡回中に、窓ガラスを割って侵入した直後の被告を見つけた。被告は職員の腕をつかんで「騒いだら殺す」と脅し、結束バンドで両手を縛った。
検察の調書によると、植松被告に拘束された施設職員は利用者の女性が就寝していた部屋に連れ込まれ、「こいつは話せるか」と聞かれた。その女性は自発的に話すことが困難で、「しゃべれない」と答えると、被告はその女性の首付近を3回刺した。職員は「しゃべれない人を狙っている」と気付き、その後は、各部屋に連れ回されて被告に問われる度に「しゃべれます」と答え続けた。ところが、「しゃべれます」と答えても、被告が「しゃべれないじゃん」と刺すようになった。職員が「みんなしゃべれます」と泣き叫ぶと、被告は「面倒なやつだ」と言い、廊下の手すりに縛り付け去った。
相模原市緑区千木良の障害者施設「津久井やまゆり園」で26日未明、刃物を持った男が入所者らを襲い、19人が死亡、26人がけがをした事件で、神奈川県警に殺人未遂などの容疑で逮捕された元職員の植松聖容疑者(26)が、「意思の疎通ができない人たちをナイフで刺した」と供述していることが県警への取材でわかった。
「みんなしゃべれます」
それを証明するのは映像だと思った。
音声、あるいは文字言語で意思疎通ができるかどうかによって生殺与奪の権を持てるとする植松聖被告の考えに対して、誰もがその存在自体ですでにしゃべっているということを疑いようのない明瞭さで在らしめるのに映像は適していた。
この社会のベースにある言語至上主義に偏ることで、障がいを持つ人を切り離す分別はより強固なものとなる。言語運用能力が高ければ高いほど、社会的評価が上がり、地位が上がり、金が稼げて、安心が生じ、わかることがわからないことよりも優遇され、役に立つことと立たないことが分けられ、障がいと健常が分けられる。そうした社会像を誰もが多かれ少なかれ内在化する。
だが実際は文字が通じる、あるいは音声が通じることは意思疎通のごく一部であり、五感には無数の交感の通路がある。健常と障がい、言語で出来た社会と非言語で意思疎通する世界との間で、母たちは子どもの通訳者になっていた。あらゆる方法を試して子どもの心に触れて、その行動の理由をわかろうとして、何度も挫折し、そのうちにわからないことを楽しむようになっていった。
そもそもあなたがどこからきたのかわからない。
それと同じようにわたしがどこからきたのかわからない。
わからないけれど、親であり子だった。
遠いかなたからきた存在が隣り合う。
その不思議を楽しむ。
わからないことを前提に、ほんの少しでも互いの感情が通じ合う瞬間を作る。
共に目を合わせることや、手を動かすことや、声を出すことや、笑うことや、絵を描くことで、他に触れる。
そこに新たな環世界が生じる。自分をとりまくテリトリーを作り直す。
それぞれもうほんとにしゃべってますね。
ガラス越しに自分が映っているのを見るとか、
飛び跳ねるとか、
動きだったりとか、
表情だったりとか、
それらすべてが、しゃべってるなあって。
ヒトは言語で出来た社会に収まりきることができない。だから小野さんは場を作るところからはじめなければならなかった。わかることではなく、わからないことを関係の中心に据えることが誠実さの最も優れた表現だと知っていたのだ。だから彼は空気のような佇まいをしていて、その語りの主体はいつも場所だった。場所は個をありのままに包摂して関係を生み出すことを彼は知っていた。
あらゆるものが次々と言語化され分断されてゆくこの社会の端で、言葉に頼らない新しい生態系が生じた。分け隔てを無化し、よく笑い、よく忘れる、はぐれものたちの共同体。存在そのものから誰もが生きられる風景が作られていく。
それが麦わら屋の日常だ。
その人の時間の流れというか。
もう今そのままが その人の完全体だから。
それにここは合わせようというか。
あちこちから歌や奇声や笑い声が聞こえてくる。
声は思い思いに、ちぐはぐに鳴り響く。
誰ひとりまわりを気にしていない。
ここに来れば、ただの生き物になれる。
存在そのものの歌が、リトルネロが響き渡る。
自分から意味不明な声が溢れ出る。
歌い返したかったのだ。
そして誰かに歌い返してほしかった。
かなたからこの地上に来て、歌い、響き合う場所をもうずっと前から切望していた。
〈第10話|うたうかなた|前橋〉了
|人に潜る|松井至|
|第1話|家は生きていく|石巻|①|②|③+映像|
|第2話|近くて遠い海へ|いわき|①|②|③+映像|
|第3話|人はなぜ踊るのか|川崎市登戸+映像|
|第4話|ゆびわのはなし|奈良|①|②|③+映像|
|第5話|いのちの被膜|京都|①|②|③+映像|
|第6話|握手|
|第7話|「いのちの被膜」をめぐる対話|京都|前編|中編|後編|
|第8話|田んぼに還る|西会津|①|②|③|④|⑤|⑥|⑦|⑧|
|第9話|光を読む|『私だけ聴こえる』|①|②|③|
|第10話|うたうかなた|前橋|①|②|③|
松井至[まついいたる]
1984年生まれ。人と世界と映像の関係を模索している。
耳の聴こえない親を持つ、聴こえる子どもたちが音のない世界と聴こえる世界のあいだで居場所を探す映画『私だけ聴こえる』が公開され、海外の映画祭や全国40館のミニシアターで上映され反響を呼んだ。令和4年度文化庁映画賞文化記録映画大賞受賞。
誰からでも依頼を受けるドキュメンタリーの個人商店〈いまを覚える〉を開店。
日本各地の職人と自然との交わりをアニミズム的に描いた〈職人シリーズ〉を展開。
コロナ禍をきっかけに、行動を促すメディア〈ドキュミーム〉を立ち上げる。
無名の人たちが知られざる物語を語る映像祭〈ドキュメメント〉を主催。
仕事の依頼などは 【こちら】まで。