2023年6月24日
そのままお宅に泊めていただき、吉野口の空気に馴染んでいった。それからぼくは「外で撮影をしましょう」と提案しておきながら目的地まで来てマイクを忘れたことに気付いたり、なんでもない道路を歩いていてなぜか遠くの車に危険を感じて「危ない!」と口走ったり、出来事に対する自分の反応がひどく遅れてきているのに驚いた。ゆっくりした時間の川の流れに体感がすっかり浸っていた。
夜になった。裏山に向いた大きな窓の外が暗くなり、工房から漏れる光を受けた葉や枝がたまに揺れた。窓に沿って作業机があり、いつもどおりそこに座って萩下さんは指輪を削りはじめた。その無駄のない手つき、木目の細部の表情を見る眼の輝きに吸い込まれるように撮影した。
夜中に作るのがいいんですよ。
電車も通らなくなり、なんとなくひんやり空気がしてくるとき。今もひんやりしていますけど、もう一段ひんやりする。
その時ですよね。真夜中っていうのが……。
皆さん寝ていらっしゃるし……ということは、この作っているモノと自分しかないという感じになってきまして。
そういう真夜中に一人でいるっていうのは……誰かが見てる……見てるっていうのか、誰も見てませんけれども(笑)。
そういうふうに感じるんですよね。
それがすごく気持ちのいい時と、そうでない時があるんですよね。気持ちのいい時はすごくのめり込んでコレをやれるんですけど。
妙に一人になれるんですよ。
そうでない時はやっぱりこう、静かなんだけれども何か音が聞こえるんですよ。すぐ裏が山ですから。耳が音をキャッチしてしまうんですよ。
樹が折れたり。バキッと。
やっぱり生きてるんですよ、皆。
でもそれが全く聞こえない。
そういう時間帯ってあるんですよね。
ああ、ひょっとしたら、ご先祖様に護られてるのかなあ。
真夜中の裏山から誰かが見ている。
それが死者のまなざしだとしたら、生きている人の世界は一体どんなふうに見えているのだろうか。裏山と工房の間に三脚を立てて、窓ガラスの向こうで黙々と指輪を削る萩下さんの姿を撮っていた。ゆっくり、自分でもカメラを動かしていることを忘れてしまうくらいの速度でパンしながら、静かな真夜中の一部になっていくのを感じた。
脇目も振らず作業に没頭している萩下さんの姿。
作業灯の強く白い光に照らされた横顔が裏山の闇に正対するように浮かび上がり、指輪を彫り出しているその指先や俯いた口元の微細な動きが闇の中の誰かと語らう身振りのようでもあった。
思いがけず目にした光景が種子となって心の底に埋め込まれ、のちの人生が決まってしまうことがあるとしたら、萩下さんはその光景に触れに帰ろうとしているのだろうか。
真夜中に「妙に一人に」なって。
死者の居る闇に向かって。
薄暗い畳部屋の黒い箪笥の上の段を覗き込む母の背中。
それをじっと見つめる子どもの眼。
数秒だが永遠のような沈黙。
削りかけの指輪をおもむろにはめて、萩下さんが笑い出す。
なぜでしょうね? 誰かのためにどんな指輪を作っても一番似合うのは私の指なんです。可笑しいね。
赤いルビーの指輪を眺める母が母でなくなり、子が子のままでいられなくなった後も、その魂は永遠のような沈黙の中で、自分にはめるための指輪を作り続けているのかもしれなかった。
〈第4話|ゆびわのはなし|奈良 了〉
本編をご覧になりたい方は、【こちら】のメールアドレスから松井にご連絡ください。
協力:信陽堂、MINALU、今井芽
制作:萩下美知代、松井至
|人に潜る|松井至|
|第1話|家は生きていく|石巻|①|②|③+映像|
|第2話|近くて遠い海へ|いわき|①|②|③+映像|
|第3話|人はなぜ踊るのか|川崎市登戸+映像|
|第4話|ゆびわのはなし|奈良|①|②|③+映像|
|第5話|いのちの被膜|京都|①|②|③+映像|
|第6話|握手|
|第7話|「いのちの被膜」をめぐる対話|京都|前編|中編|後編|
|第8話|田んぼに還る|西会津|①|②|③|④|⑤|⑥|⑦|⑧|
松井至[まついいたる]
1984年生まれ。人と世界と映像の関係を模索している。
耳の聴こえない親を持つ、聴こえる子どもたちが音のない世界と聴こえる世界のあいだで居場所を探す映画『私だけ聴こえる』が公開され、海外の映画祭や全国40館のミニシアターで上映され反響を呼んだ。令和4年度文化庁映画賞文化記録映画大賞受賞。
誰からでも依頼を受けるドキュメンタリーの個人商店〈いまを覚える〉を開店。
日本各地の職人と自然との交わりをアニミズム的に描いた〈職人シリーズ〉を展開。
コロナ禍をきっかけに、行動を促すメディア〈ドキュミーム〉を立ち上げる。
無名の人たちが知られざる物語を語る映像祭〈ドキュメメント〉を主催。
仕事の依頼などは 【こちら】まで。