草日誌

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2025年1月11日

人に潜る 第9話
光を読む|映画『私だけ聴こえる』③

あなたはコーダのことをまったくわかっていない

モスクワで行われたろう者の国際映画祭で観客の一人からこう言われた。『私だけ聴こえる』を上映した直後、劇場を歩いていたら50代後半くらいの男性が強張った顔でこちらをにらみつけていた。
こういうことは初めてではなかった。

私は私の人生でたまたま出会った人たちと縁あって映画を作りましたから、あなたの考えるコーダではないかと思います。

そう答えて立ち去った。
夜の道を歩きながら、おそらく彼はコーダだろうと思った。そして、おそらく彼は映画ではなく、自分の人生を見たのだ。

わたしもコーダです

2022年、『私だけ聴こえる』は全国で劇場公開された。各地の映画館に挨拶に行くたびに会場でこんなふうに声をかけてくれる人たちがいた。
制作の7年間、まだ見ぬコーダたちに手紙を書くように作ったことへの返信が来たような気がして、決まって小さく控え目なコーダたちの声を聞くのが嬉しかった。
ある若いコーダは映画が始まってから終わるまでの77分間、ずっと静かに泣き続けていた。その小刻みに震えている背中でわかった。上映が終わると「松井さんはコーダなのですか?」と聞かれた。「いいえ、聴者です」と答えると満足そうに帰っていった。
ある女性は「アシュリーが妊娠した時に『自分の子どもはろう者かもしれない』と戸惑う気持ちは私にしかわからない」と言って大粒の涙を流した。
ある年配のコーダはSNSを通して連絡をくれたが、劇場には来なかった。「映画を観ると、自分の子どもの頃を思い出して、半月は何も手につかなくなるから」と言った。
サインをしている時に「映画に出ていたコーダのように、みんなが手話をできるわけではありません!」と強く言われたこともあった。
あるコーダは「自分がコーダであることを誰にも伝えたことはないし、同じコーダの集まるコミュニティーにも行く気はない」と言うのだった。
何も知らずにふと映画館に入ったけれど「全部自分のことだった」と言った人もいた。

モスクワで睨みつけてきた男性はぼくに伝えたかったのかもしれない。

俺はもっと苦しかった
俺はもっと苦しかった
俺はもっと苦しかった

それとも映画の光に向かって自分の苦しみを確かめることで人生に形を与えたい衝動に駆られたのか。光は忘れ去りたい記憶まで照らし出してしまうものだ。
だとしたら、明るみに出たその記憶はその瞬間から彼の物語になったのだ。
「私の物語は私のもの」。
映画の向こう側にはいつもただ異なる生があるだけだ。

コーダはろう者と聴者の間で通訳者になる。
ぼくはそのコーダという存在の通訳を試みた。
コーダはぼくにいくつかの真実を残していった。

人はそれぞれ自分にしかわからない苦しみを生きていること。
その苦しみには本来的に名前がないこと。
異なる世界を行き来して他者を読み取ろうとする者はおのずと通訳者になること。

そして目は光に許されてあらゆる存在を読むということ。

 
〈第9話|光を読む|映画『私だけ聴こえる』〉了
 
 
 
|人に潜る|松井至|
|第1話|家は生きていく|石巻|③+映像
|第2話|近くて遠い海へ|いわき|③+映像
|第3話|人はなぜ踊るのか|川崎市登戸+映像
|第4話|ゆびわのはなし|奈良|③+映像
|第5話|いのちの被膜|京都|③+映像
|第6話|握手
|第7話|「いのちの被膜」をめぐる対話|京都|前編中編後編
|第8話|田んぼに還る|西会津|
|第9話|光を読む|『私だけ聴こえる』|
|第10話|うたうかなた|前橋|

松井至[まついいたる]
1984年生まれ。人と世界と映像の関係を模索している。
耳の聴こえない親を持つ、聴こえる子どもたちが音のない世界と聴こえる世界のあいだで居場所を探す映画『私だけ聴こえる』が公開され、海外の映画祭や全国40館のミニシアターで上映され反響を呼んだ。令和4年度文化庁映画賞文化記録映画大賞受賞。
誰からでも依頼を受けるドキュメンタリーの個人商店〈いまを覚える〉を開店。
日本各地の職人と自然との交わりをアニミズム的に描いた〈職人シリーズ〉を展開。
コロナ禍をきっかけに、行動を促すメディア〈ドキュミーム〉を立ち上げる。
無名の人たちが知られざる物語を語る映像祭〈ドキュメメント〉を主催。
仕事の依頼などは 【こちら】まで。

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『佐渡の車田植』

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